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我が街が、空襲に遭った日(3)

2007-08-03 16:32:38 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_28     62年前、クラスター爆弾使用の新事実

                      (朝日新聞社・知的財産センター・掲載承諾済み

 62回目の8月5日がめぐってきます。1945年8月5日、午後10時過ぎ、B29戦略爆撃機の編隊が、前橋市内を空襲し、焼夷弾3,455発、通常爆弾61発を投下し、5百人以上の一般市民が犠牲になり、1万2千戸の家屋が焼失しました。

 ところが、米軍の空爆を研究する群馬県内の研究者が、米国戦略爆撃調査団史料のなかの「作戦任務報告書」に、驚くべき記述のあることをみつけました。 

 2007年8月2日付・朝日新聞・群馬版“語り継ぐ群馬の戦争”<中>「破片収束弾 前橋空襲で投下 米軍資料で実態解明」の記事が掲載され、明らかになりました。

 破片収束弾とはクラスター爆弾ともいわれ、ベトナム戦争でも盛んに使用され、ノルウエー政府の提唱で08年までに禁止条約の制定を目指しているものです。

 米軍の資料にはこうあります。

 「焼夷弾投下後に投弾される破片収束弾の効果によって、火災の消火力が妨げられるならば、住宅街の木造建築物と小さな織物工場は、焼夷弾に起因する大火災をおこすものと思われる」

 空中で散開し、地上に落下すると同時に、多数の金属片が四方八方に飛散することによって人を殺傷することが目的で、非戦闘員である一般市民の殺傷を狙った、間違いない無差別爆撃でした。

 民家や機織工場まで攻撃対象にしていたことは、他の国内主要都市では例を見ないもので、厭戦気分を掻き立てることが目的であり、既にこのとき使用していたことは、驚愕の事実であります。

 B29は、この前橋空襲の、まさに「ついでに」我が街に飛来し、40数発の焼夷弾を投下、盲目の親友「さぶチャン」が焼き殺されたのでした。

         (株)朝日新聞社 知的財産センター 承諾済み

          朝日新聞 2007年8月2日付 群馬版より転載