タカ長の山ときどきタカ見

「タカ長のタカの渡り観察」の別室です。八十路の坂を登りながら更新してゆくつもりです。

あ~ぁ この天気予報

2025-02-25 16:13:43 | 日々雑感

     

 

今日は快晴ですが、それだけに冷えました。

 

この寒い裏山に大切な女房殿を出すことは出来ないので、仲間たちとの裏山歩きはキャンセル。

 

暖かくなってからタカ長は月1回のクリニック、女房殿は買い物に。そのあと合流してこのような豪華なランチを楽しみました。

 

ここでエンジンをふかして山に行こうとしたら、、、、、、、、

 

    

 

あ~ぁ、この天気予報、傘マークが続いています。

 

気温が上がるのは嬉しいことですが、この傘マークには出鼻をくじかれる思いがします。

 

気候が良くなると、山を歩いた後にご馳走を食べに行くプランが二つも三つもあるのですが、この天気予報では人を誘えないよなぁ。

 

そうこうするうちに花見がやってくるのですが、、、、、、、、、、。

 

 

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最後の寒波

2025-02-24 08:20:11 | 日々雑感

     

 

     

 

大雪(?)になりました。本当に私たちの団地では珍しいような大雪です。

 

天気予報通りなら、これが今年最後の寒波になりますね。今日はいろいろな予定のない月曜日、コタツに寝転んで、テレビなど見ながら過ごすことにします。

 

    

 

    

 

    

 

春になった行きたい山がいろいろあります。膝が痛いとか、腰が重いとか言っても仕方ないので、とにかく裏山以外の山にも行くつもりです。

 

赤子山に行って、下山後に豆腐を食べて、、、、、、、、

 

小浜山を下りた後、秋穂に行ってエビを食べ、、、、、、、、

 

そのようなことをいろいろ考えています。

 

春になったらタカ長の季節だぁ! と言うことにします。

 

 

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不思議なはなし

2025-02-22 08:59:37 | 日々雑感

      

 

前回の続きみたいなはなしです。

 

タカ長は昭和41年1月に結婚しました。翌年の1月に長女が生まれ、その翌年の12月に次女に恵まれました。

 

20代でパパママになった新米夫婦(だれもが同じですが、、、、、、、、)ですが、子育てに関しては時に厳しいパパママでした。

 

誰から言われたわけではありませんが、子育てに向き合う気持ちにはブレガありませんでした。可愛がるだけではダメ、時には体罰アリでした。具体的なことは書きませんが、今だったら誰かに通報されることになったかもありません。

 

それが「親としての自覚」なのかどうか分かりませんが、山ばかり歩いていた二人が結婚してすぐにそのような自覚が生まれたのが不思議に思えるのです。

 

    

 

それ以上に不思議なのは、子育てする私たち夫婦の気持ちが「完全な一枚岩」だったことです。

 

日常生活においてはお互いがわがままを言って、口喧嘩することは普通にありましたが、こと子育てに関しては完全な一枚岩。これだけは今考えても不思議に思えるのです。

 

育児方針が合わなくて夫婦喧嘩が絶えない、と言うはなしはよく聞きましたし、育児方針の違いが離婚の原因になることも聞いたことがあります。

 

しかし、タカ長たちは「一枚岩」でした。子どもたちが成長した後に聞いたことですが、その一枚岩を破るための「対策会議」みたいなことをしていたようです。

 

    

 

そのような子育てをしたため、子どもたちはグレることもなく成長しました。そう考えていました。

 

タカ長も歳を取り、そのような考えは思い上がりであることが分かってきました。人と言うものは親だけではなく、多くの人のお世話になり、神や仏様に見守られて、またご先祖様にも助けられて成長しているのだと言うような気持ちになりました。

 

しかし、人がこのように生まれてきて最初にかかわるのはその人の親であることは間違いありません。

 

山ばかり歩いていた二人が結婚し、早々子どもに恵まれ、その子どもたちを人なみに育てることが出来たのですから、これほど不思議なことはないように思えるのです。

 

 

 

 

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ガキは大いに叩いてやれ

2025-02-20 08:27:30 | 日々雑感

     

 

新聞広告を見てこの本を買いました。何よりその刺激的な書名に惹かれたわけです。筆者は1903年生まれです。このことで分かるように、長らく絶版になっていた本が復刊された、と言うことです。

 

この本には書名にもなっている、「食えなんだら食うな」や、「病なんて死ねば治る」、「若者に未来などあるものか」、「地震ぐらいで驚くな」など12編の文章がおさめられています。

 

刺激的なことばがならんでいますが、著者の関大徹師は禅宗の高僧で、もちろん大真面目な本です。250ページくらいの本で、その気になればすぐに読了できますが、内容が深い本ですから座右に置いて、何度も何度も読む本だと思います。

 

買って間もない本ですが、タカ長も同じページを何度も読みました。その中のひとつ、「ガキは大いに叩いてやれ」を読んで感じたことを紹介します。少し長文になりますが、最後まで読んで頂けると幸いです。

 

     

 

著者が富山の光厳寺の幼稚園をあずかっていた時のことです。子どもたちが遊んでいるところへスズメの子が降ってきました。それを拾った園児がどうするか見ていると、あろうことかその子はスズメの子をひねり潰そうとしたのです。

それを見た筆者は咄嗟に飛んで行き、園児の首根っこをつまみ上げました。

「どうだ、痛いか」 「痛い」。

著者は手をゆるめて「おまえが痛いように、スズメも痛いのだ。わかったか」「わかった、わかった」

 

著者がそのようなことをいちいち覚えているわけではありません。その日のことを思い出させてくれたのは、40年後その園児が著者を訪ねてきて、その時のことを語ってくれたからです。

 

「五十年の人生で、あれほど怖かったことはありません」

 それはそうだろう。怖い目にあわそうとして、私はそうしたのであり、幼な心に、怖かったという印象をあたえにような体罰なんぞ、屁のようなものだからである。

 

     

 

人間の頭脳がもっとも発達する幼稚園の時代に、子どもを人間として鍛えておかないといけない、と言う思いからの体罰でした。著者は「体罰万能」といっているのではありません。

 

そして「大事なのは、体罰とは、断じて『報復』ではない」と言っています。

 

大人を困らせたと言ってカッとなり、思わず手を出すのは「報復」で、これほど理不尽なことはないと言っています。体力的に劣っている幼児を相手に大人が対等に応酬することはあってはならないことだと言っています。

 

そこのところを混同するから、幼児教育における体罰の是非論が本気で議論されることになるのです。

 

     

 

あくまでもタカ長の独断ですが、人が人として成長するために必要なことを叩きこまなければならないときもあるはずです。特に幼児期においては体罰が容認されるような場面はあるはずです。しかし、体罰と報復の区別が出来なくて、親も教師も腰が引けているように思われます。

 

その結果、必要な時に叩くこともできず、その反面「しつけ」と称して幼児の手足を縛ったり、食事も与えないようなことが報道されるようになっています。

 

報復はあってはならないことですが、人が人として成長するためには体罰が必要なこともあります。タカ長は体罰推進論者ではありませんが、体罰を避けるために、親も幼稚園も地域社会も腰が引けて、甘やかせながら子育てすることは親として、大人として無責任だと思います。

 

ガキを大いに叩いてやることが必要な時もあるはずです。

 

 

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誰も言わないよなぁ

2025-02-19 09:37:32 | 日々雑感

小さな話題です。

 

今年もインフルエンザが猛威をふるったようです。ようです、と言うのはわが家には縁がなくて実感がないからです。

 

       

 

コロナ対策の時も同じですが、このような時には「マスクをしましょう。手洗いをしましょう」と言われます。間違った対策ではありませんからタカ長も異存はありません。

 

しかし、いつもそこまで。体を鍛えてインフルエンザを撃退しましょう、というような論調を見ることはありません。

 

     

 

タカ長が小学生のころ「乾布摩擦」というのか、その名前は忘れましたが上半身裸になって、乾いたタオルで体をふくような運動をしていました。「天突き体操」も行われていました。記憶にあるのは寒い冬の朝のことです。

 

今の学校現場のことは何も知らないのですが、今でもそのようなことが行われているのでしょうか?

 

マスクや手洗いの必要性は否定しませんが、そこから一歩踏み出して病気に立ち向かうことはもっと大切なのではないでしょう。

 

インフルエンザ対策はほんの一例ですが、最近の重大事、高齢者の健康対策として検診などは勧められますが、積極的に運動して病魔を寄せ付けないようにしましょう、と言うような論調も聞きません。

 

     

 

NHKテレビ「中高年の登山学校」で有名な岩崎元郎さんが、「一億総登山家運動」という大きなアドバルーンを上げられたことがあります。しかし、このような運動が大きな国民運動になることはありません。

 

大きな声では言えませんが、口では国民の健康は大切だと言いながらも、健康な人ばかりになると困る人たちが大勢いるのです。メディアのそちら関係ですから、「皆さん山に行って健康になりましょう」と言うような国民運動は起きないのです。

 

と言うような、天下国家を論じることは別にして、、、、、、、、

冬の寒い朝、校庭にならんで「乾布摩擦」や「天突き体操」をしていたことが懐かしいですね。

 

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