タカ長の山ときどきタカ見

「タカ長のタカの渡り観察」の別室です。八十路の坂を登りながら更新してゆくつもりです。

完全なる錯覚?

2024-12-24 13:34:03 | 日々雑感

    

 

タカ長の財布にはほとんど現金が入っていません。そもそも現金買いすることが少ないし、最近はpaypayも利用するようになったので、多くの現金を持って歩く必要がないのです。

 

    

 

そのようなタカ長がマイカーの車検。古い車なので、今回は通常より多くの費用がかかります。今までのようにカード払いにすると「限度額」の問題もあります。そのために金策、その一部を現金払いすることにしました。

 

    

 

ATMでおろすと造幣局から直送してもらったような、渋沢栄一の新札が出てきました。二つ折りにするのもはばかられる感じで、、、、、、、、

 

    

 

むかし使っていた長財布を持ち出すことになりました。この長財布に万札を2~3枚持って歩くと、何故かしらリッチになったような気がします。

 

タカ長には事業経営の経験はありませんが、急に資金繰りが良くなったような感じです。これって何でしょうか?

 

    

 

平素、現金など持ち歩くことがほとんどないからでしょうか?

 

手にしている紙幣が初めて人の手に触れるような新札だからでしょうか?

 

年金が増えたわけでもありませんし、宝くじが当たったわけでもありません。銀行口座の数字が少しだけ少なくなり、その分がタカ長の長財布に移動しただけですが、、、、、、、、

 

それなのにこの「リッチ感」。何だか分かりませんが、ビンボーなタカ長としては、年末年始くらい「リッチ感」を楽しみたいと思います。

 

これって完全なる錯覚だとは思いますが、、、、、、、。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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原爆体験~2

2024-12-22 09:24:58 | 日々雑感

     

 

昨日、原爆体験のことを記事にする気になったのはこの本を読んだからです。この中には生々しい被爆体験が紹介されていますが、あえて引用しないことにします。

  

 

そもそもクリスマスの季節に原爆のことを話題にするのはもの凄い違和感があります。季節がまったく違う感じがします。しかし、ノーベル平和賞の授賞式は12月に行われたのですから、今回だけは仕方ありません。

 

そのノーベル平和賞の授賞式はノルウェーで行われました。

 

11月のクラス会のとき、同級生の一人が「12月にノルウェーに行く準備が忙しいので欠席する」とメールしてきました。この一言でノーベル平和賞の授賞式のことだと分かりましたが、お互いそれ以上のことは話していません。

 

彼はノーベル平和賞の授賞式のとき、登壇するほどの活動はしていないようですが、関係者の一人なのです。そのためテレビでは報道されないことも見ているはずで、今度機会があったら土産話をしてくれと頼んでいますが、具体的なことは何も話していません。

 

昨日も話しましたが、原爆のことはあまり触れたくない、と言うのが正直な気持ちなのです。

 

    

 

あの一発の原爆を体験して、タカ長は幻覚を見るようになり、一人でトイレに行けなくなりました。怖い夢にうなされるようになりました。

 

しかし、親族で直接被爆死した人はいません。叔父の一人が背中に大やけどし、その上をウジ虫が動いているのを記憶しているくらいです。考えてみれば、広島人としては幸せな家族だったようです。

 

タカ長にとって最大の悲劇は、優しかった隣のお姉さんが忽然と姿を消したことです。お姉さんのことは親からも、隣のご両親からも聞いていません。ひょっとしたら遺骨も分らなかったのかも分かりません。

 

原爆は「人間として死ぬことも、生きることも許さない」と、この本に書かれています。

 

喧嘩にもルールがあるように、戦争にもルールがあるはず、そのようなものが何もないのが原爆です。

 

三度目の核戦争はあってはなりません。素直にそう思います。

 

 

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原爆体験

2024-12-21 09:24:15 | 日々雑感

    

 

皆さんご存知のように、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を受賞しました。

 

永年の活動が評価されての受賞だと思いますが、その努力を思うと本当に尊敬します。山屋的にたとえたら、ペットボトルから水を垂らして、穂高の屏風岩に穴をあけるような絶望的な努力。それでもあの岩に穴が開くことを信じて活動されているその姿に心打たれます。

 

    

 

タカ長も原爆の閃光をこの目で見ました。その後、タカ長のまわりで起こったことを鮮明に記憶しています。そのことを子細に思い返していると今でも気分が悪くなります。

 

その思いは被爆者誰でも同じでしょうが、その気持ちにくじけないでご自身の被爆体験を語って来られたことは本当にすごいことです。タカ長の体験など、広島の旧市街で被爆された人の体験から見れば、万分の一に満たないものですが、それでもあの日のことを語ると今でも気分が悪くなります。

 

    

 

タカ長が育った長屋の隣が、大家さんのお姉さんの部屋でした。その部屋に何度も行った思い出がかすかにあります。タカ長の人生最初の思い出と言えるようなかすかな思い出です。

 

そのお姉さんはこのような勇ましい(?)姿ではなく、タカ長を抱いて絵本の読み聞かせをしてくれる優しいお姉さんでした。

 

そのお姉さんが忽然と姿を消しました。親父から「女学校に通っているお姉さんを探しに行った」と聞いた記憶はあります。火が燃えさかる町を歩いて倒れそうになった、と聞かされましたが、お姉さんの消息は誰からも聞いていません。

 

子ども心にも何か感じていたのか、大きくなってからも、親にも隣のご両親にもお姉さんのことは聞いていません。

 

あの日、忽然といなくなったので、お姉さんの顔は分かりません。タカ長には顔のないお姉さんなのです。

 

    

 

タカ長はこのような形から畳の上に腰を下ろした格好で、子どもに絵本の読み聞かせをしていました。

 

この姿勢は、あの頃お姉さんからして頂いていたことを踏襲しているのではないか、と本気で何度も考えたことがあります。遠い遠い記憶なので本当のことは分かりませんが、自分では間違いないことだと思っています。

 

優しかった隣のお姉さんが忽然と姿を消した。タカ長には一番悲しいあの日の記憶です。

 

 

 

 

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今日も4軍歩き

2024-12-20 14:47:17 | 山歩きから

    

 

仲間たちとの裏山歩き、今日も参加者は11名でした。

 

今日も冷えこんだので、皆さん厚着してスタート。汗かきのタカ長ですが、オオルリ沢からの登りを終わっても汗は出ない状態でした。

 

    

 

そのオオルリ沢からの登りで前を行く3軍に遅れ始めて、それからラストを「一人旅」でした。

 

それも想定内のことですから、問題にすることは何もありません。

 

    

 

亡くなった古い山とも宅には昨日行き、奥様と息子さんを加えて、山ともの悪口を楽しんできました。

 

山ともの悪口を言いながらあらためて思うのですが、その頃の山ともが本当に少なくなりました。消息が分かっていて、今でも健在と思われるのは一人か二人の状態です。

 

    

 

この場合の「山とも」は同じ山岳会に所属していた山ともだけではありません。当時は他団体の人と山を歩いていましたから、そのような山ともも含めての消息です。

 

亡くなった山ともとともに悪口を言って盛り上がっていた、高名な登山家は鬼籍に入りました。山と渓谷社の分県登山ガイドの執筆を担当した山ともは腰を痛めていると聞きました。

 

その程度の情報でも、その様子が分かっている人が本当に少なくなったのです。

 

    

 

前を行くのは女房殿ですが、考えてみれば、彼女もまたその頃の「山とも」なのです。その山ともと穂高岳の稜線を歩くなど、登山らしい登山をしたこともありますが、いまはご覧の通りの4軍歩きです。

 

4軍歩きであってもとにかく今も山を歩いています。そのような山ともはいなくなりました。寂しい話ですが、古い山ともと60年以上山を歩いているタカ長たちは例外的なことかも分かりませんね。

 

考えてみれば幸せなことです。

 

    

 

    

 

そのようなことを考えながら天空カフェに到着。

 

先着していた仲間と、荒谷林道まで行った人を待たないで一足早くコーヒータイムを楽しみました。

 

全員集合のあとはいつも通りのコーヒータイムを楽しんでから、いつもの駐車場までの4軍歩き。

 

    

 

駐車場に帰ったらタカ長の車だけでした。

 

     

 

今日の記録です。

 

完全なる4軍歩きですが、それでもYAMAPの記録では「標準ペース」と言うことになっています。前半は完全に「100パーセント」のペースになっていますね。

 

あれでよいのならまだまだ歩けそうです。

 

 

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訃報につき

2024-12-18 19:43:41 | 山歩きから

    

 

出雲の守様と広島県大竹市の小方行者山に登りました。その登山中に電話。

 

「お父さんが死んだ。今から葬式だ」

 

電話の主は青春のころからの山友だちの奥様、今でも交流のある人です。山でそのような電話を受けても、今日は何の対応も出来ません。

 

タカ長に知らせるべきかどうか、あれこれ考えたのだろうなぁ、、、、、、、、。と言うことを考えるとタカ長の気分はシュ~ン。

 

    

 

今日の山道にはこのような石仏がたくさんありました。このような山を歩いている時の訃報、何か意味があるのかなぁ、、、、、、、、。

 

と言うことで今日の更新はナシです。

 

 

 

 

 

 

 

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