1335話)私のこどものころ トマトケチャップ

 トマトケチャップ

私がまだ小学生のころ、実家の一帯でトマト栽培がブームになりました。いまふつうに生食するトマトではなく、直径5㎝×長さ7cmくらいの細長い果実で、ケチャップトマトと呼んでいました。どこかの企業の契約栽培のようなかたちで広がったのかもしれません。

どこの村でもこのトマト栽培に取り組みました。メダケというのかな、直径1~2㎝の笹竹が、川の土手、道路わき、ちょっとでもすき間かあればどこにでも繁っていたのに、それがなくなりました。トマト栽培の支柱にするためです。
 
収穫したトマトは、たぶん農協を通じて出荷していたんでしょうけど、その一方で、農村の婦人会などによって、トマトケチャップに加工する講習会なんかが開かれたのです。私の母親はそういうことには熱心でしたから、講習を受け、鶏ガラを出汁にして、大鍋でトマトを煮詰め、ケチャップづくりに取り組みました。

できたケチャップはたくさんの一升瓶に詰められ、カンタンな機具をつかって王冠をかぶせ、熱湯で滅菌され、長く利用されることになったのです。

企業との契約栽培で、なにかの作物をつくるのは、ほかにもありました。とくに採種用の野菜が多かったと思います。私の両親が取り組んだものでも、スイカ、ニガウリ、カンピョウ、ダイコンなどがありました。スイカなんか、種が目的で、身や皮は不要ですから、それが川に捨てられてひどいことになったのを覚えています。
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ニガウリの種 (高見)
2021-05-20 17:07:35
ニガウリの種採りをしたことを書きました。両親がです。あれって、やがて黄色くなって、ウリが割れます。そのころになると、種の周囲にネバネバのものができて、食べるとそれが甘いんですね。子どものころ、私は、ニガウリ(その名前も知りませんでしたけど)はあの種の周囲の甘いのを食べるための野菜だと思っていたのです。
あれって、中国でもたくさんつくってて、ニガウリの苦みをいかしたビールまであるんですよね。
 
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