12月5日から中国にきています。14年間、ともに事業に取り組んだ友人に囲まれると、自然と思い出話も。
大同で実際に事業を発展させたのは、協力相手の青年たちです。農民の微妙な利害の調整、市政府との折衝、技術問題への対処、日本人の受け入れなど、綱渡りの連続。横で見ていて、私なんか舌を巻くことばかり。
広大な国土に多数の人びとがひしめき、欧米や日本が4、5世代かけた現代化を、中国は1世代で実現中で . . . 本文を読む
緑化協力を14年も続けると、成功、失敗の例がたくさんできます。成功の条件は三つあります。第一に水を始めとする自然の条件。第二は社会関係で、中国の農村は地方政府の役割が大きいのでその支持も不可欠。第三は人的要素で、とりわけリーダーが重要です。
この三つの要素は独立していません。例えば交通が不便で水がないような村は、人材もいなくなります。結婚も難しいし、子供ができても教育が困難ですから、才覚が働き . . . 本文を読む
大同市の最南部、霊丘県上北泉村の小学校付属果樹園は、もっとも成功したプロジェクトの1つです。1996年以来、10年をかけて、60ヘクタール、5万本のアンズなどを植えてきました。
年月をかけたのは、以前の失敗にこりたからです。一度に大面積に植えてノウサギの食害が発生した時、完全に受け身に陥って、全滅しました。小面積でも成功させると、経験と技術、自信が蓄積され、成功のうまみを知って、欲もでます。そ . . . 本文を読む
黄土高原における緑化の最大の目的は、豪雨による浸食から土壌を守ること。砂漠化防止にもなります。具体的には、山や黄土丘陵の高所にグリーンベルトを作ります。植えるのは主にマツ。2、3年生の小苗で、地上部は15センチしかありません。
地元の整地法は、苗に似合わぬ大土木工事です。丘陵の斜面に、等高線に沿って3メートル間隔の溝と土手をつくる。幅50センチ、深さ25センチの溝を掘り、その土で溝の下手に土手 . . . 本文を読む
今は砂漠化の深刻な大同に、輝ける時代がありました。4世紀末から約100年、北魏の都が置かれ(平城京)、北方仏教の中心だったのです。
「雲崗石窟」はその頃作られ、東西1キロの岩壁に50近い洞窟と5万余体の石仏が残されて、当時の文明の華麗さ、壮大さを伝えています。2001年に世界遺産に登録されました。日本の初期の仏教が北魏様式と呼ばれるように、日本の文化にも深い影響を与えたのです。梁と金の時代、大同 . . . 本文を読む
黄土高原の農村を回って帰国間際の日本の青年が私に話します。「貧しい村ほど人の表情が豊かで笑顔がすてきです。町はそれが薄れ、大同や北京では表情がとげとげしくなります。その先に大阪が待っていると思うと、帰るのがイヤになります」
私も同感。真っ黒に日焼けしたしわだらけの農民が、しわをもっと深くして笑うのがなんともいえない。好奇心いっぱいで、目を輝かせる子供たちもいい。そのなかにつかっていると、誰でも . . . 本文を読む
大同の南60キロ、渾源(フンユェン)県の林業局長・温増玉(ウェンヅォンユィ)さんと森林消防の赤い小型四輪駆動車で造林地を回り、町まで帰ってくると食堂は閉まっていました。おかげで自宅に招かれ、夕食をごちそうに。私の宿から近いことを知り、味をしめて毎朝通いました。アワかジャガイモの主食にハクサイの漬物がつくくらい。
温さんのその日の予定が会議だと、私は帰って独自の日程を立てます。村に行く予定があれ . . . 本文を読む
大同の小学校付属果樹園のアンズは、私の目からみて、ずいぶん丁寧に植えました。直径・深さともに70センチはある大きな穴を掘り、苗をまっすぐに置き、土をかけて水をやり、蒸発を抑えるためにしっかり踏み固めたのです。ところが夏に行ってみると、半分以上が枯れていました。地元の技術者は「干ばつがひどかった」と説明しました。
植えたときのビデオを日本の専門家にみせると、「これではだめです。粒子の小さな黄土で . . . 本文を読む
緑化協力を始めて間もない1993年秋、大同の農村の小学校に案内され、がくぜんとしました。傾いた校舎の屋根は波打ち、零下30度になるのに障子張りの窓は破れ放題。裸電球だけの薄暗い一つの教室で、1年生から3年生までが勉強しています。先生は1人で、4年生以上は遠くの村の学校に行くしかない。
学校に通える子はそれでも恵まれています。村を歩くと、弟妹の子守をしたり、親について野良で仕事をしたりしている子 . . . 本文を読む
黄土丘陵や山間の急斜面の畑は「三逃(さんとう)の畑」と呼ばれます。雨のたびに水が逃げ、土が逃げ、肥料が逃げるという意味です。収穫が少ないうえに作業が困難で、こういう村が貧しいのは言うまでもありません。毛沢東時代の1960年代、人海戦術で改造に挑みましたが、十分な成果はありませんでした。
年間降水量は400ミリほどですが、3分の2が夏の一時期に集中し、局地的に短時間、豪雨が降ります。1時間70ミ . . . 本文を読む
大同市の南東85キロ、広霊県苑西庄村の井戸は、次々と枯れていました。1997年の時点で水が出るのは4本で、合計バケツ100杯。その水を、住民150人と家畜で分け合っているのです。隣村までもらい水に通うこともありました。
見るに見かねて井戸掘りに協力しました。幸い、水は出ましたが、深さ176メートル。コップで回し飲みしながら、村の長老が「こんなきれいな水は見たことも飲んだこともない」と大泣きし、 . . . 本文を読む
黄土高原にある大同市では「一年に一度風が吹く」と言います。風がないのではなくその逆で、春先に吹き始め、翌春まで続く。要するに年中、風が強いのです。特に春がひどい。
前年の10月以降は雨も雪もなく、大地はカラカラです。春の耕作で砕かれた土が風に煽られて舞い上がります。渦をまきながら迫ってくるのが見えると、あわてて背を向け、目をつぶってしゃがみこみます。口のなかはザラザラ。
運転手が急ブレーキを . . . 本文を読む
「ダーダオリーベン、ダーダオリーベン……」と節をつけて歌いながら、数人の男の子が私の後を追っていたそうです。中国語で「打倒日本!」。時折、小石を拾って投げるまねをする。緑化協力を始めた92年の秋、大同の農村でのことですが、私は気づきませんでした。最近になって地元の青年から聞かされたのですが、彼もその悪童の一人だったのかもしれません。
行く村行く村で「日本軍以来の外国人だ」と言われました。それは . . . 本文を読む
14年間の活動で大同市の農村と協力して植えた苗木は計1600万本、面積は4600ヘクタール。日本から訪れたボランティアは2千人を超え、なかには5回10回のリピーターもいます。専門家の参加によって技術改善や人材育成なども進めました。
日本だけでなく、中国からも多数の見学と視察があり、「日本人と中国人でどうしてこんな関係ができたんだ?」とびっくりされます。そして必ず聞かれます。「どういう思いで黄土 . . . 本文を読む
「日本と中国」=(社)日中友好協会機関紙=では年末年始、「黄土高原レポート」は休載です。あいだが空きますので、2005年の年末、朝日新聞オピニオン面に3週間連載したコラム「高見邦雄の黄土高原の村から」を号外として掲載します。写真はこのたびつけるものです。
山西省大同市は、北京から西に300キロ弱。高速道路を使えば3時間ほどの、黄土高原の東北のはずれにあります。
小さなNGO「緑の地球ネット . . . 本文を読む