もひとつ浸食谷の光景を。渾源県の北部、大同県との境界は龍首山と呼ばれる1500~1700mの低山です。例によって北面は切り立った崖になっており、南側はなだらかに丘陵状に広がっています。ここが浸食谷の多いところなんですね。
その典型的なところが、アンズの栽培に成功した呉城郷呉城村です。どこのアンズ畑のすぐそばにも深い浸食谷があります。なかには深さが100m近いところも。
村の裏手(北側)にも大き . . . 本文を読む
前回の浸食谷の写真は陽高県下深井郷のものなんですけど、ここを訪ねることにしたのは、前年1995年10月に水害の見舞いにでかけたことがあったからです。
ここ陽高県の民謡「高山高」の2番に「…靠着山呀,没柴焼。十箇年頭,九年旱一年澇…」とあります。10年のうち9年は旱魃で1年は大水…」というわけですね。
この年は7月までは深刻な旱魃だったのに、7月下旬から雨が降りだし、断続的に10月まで降りつづい . . . 本文を読む
写真は陽高県下深井郷にある浸食谷で、1996年3月に撮影したものです。私のすぐ隣にカメラマンの橋本紘二さんがおり、絞り、シャッタースピードなどのデータを教えてもらい、まったく同じにして撮影したのです。
同じような傑作が撮れたものと思ってたんですけど、あとで彼が『アサヒグラフ』に発表した写真とこれとを比べて、ショックを受けました。差がつくのはセンスなのでしょうね。
橋本さんは1995年から毎年数 . . . 本文を読む
暑いですねえ。このあいだ降らせすぎたから、そのぶん控えなければ、なんてことになってるんですかね。雨が降りませんで、酷暑がつづきます。やっぱり体温を超えると、次元が変わる感じがします。
じつは私、きのうの午前中に軽い熱中症になってしまったのです。外出から帰ってきて、手首から先の痙攣がしばらく止まらないんですよ。あわてて塩アメを口にし、水分をとりました。それで治まったのは幸いでした。
2016年か . . . 本文を読む
インゲンマメの自家採種に昨年から取り組んでいます。マメの品種の多くは一代雑種(F1)ではなく、固定種のよう。親と同じ形質が伝えられます。
そのうえ花が大きく開くことがなく、閉花交配するので、人工交配の必要がなく、交雑の恐れもほとんどありません。自家採種にとってうってつけの性質ですね。
まだツルに元気があるうちに、莢15個ほどに目印のテープをまいておきました。黄色く熟するのを待って順々に収穫しま . . . 本文を読む
大同の農村風景でびっくりさせられるものの一つが浸食谷でしょう。夏の雨が植生の乏しい大地をたたき、畑の土壌や山の表土を流してしまいます。
写真の場所は私にとってもっとも印象深かったところ。大同県徐町郷(当時)小王村の背後の山から北にレンズを向けています。狭い範囲に大小の浸食谷が108もあると地元の人は話してくれました。
前方にみえる水面は桑干河をせき止めている冊田ダムで、北京の水ガメ・官庁ダムを . . . 本文を読む
前回の「夢の国」の三嶺村は、甘いおとぎの国ではありませんでした。北隣りの陽高県の民謡「高山高」の2番にこんな歌詞があります。
「…靠着山呀,没柴焼.十个年頭,九年旱一年澇…」。上田信さんの訳をつかわせてもらうと、「山は近くにあるけれど、煮炊きに使う柴はなし。十の年を重ねれば、九年は日照りで一年は大水…」。漢字というのはすごいですね。たった16文字でこれだけ深い意味を表せるのです。四半世紀以上、大 . . . 本文を読む
大同で最初に緑化協力に取り組んだのは、渾源県でした。1992年と1993年の秋、私はひとりで数十日間、この地方の農村に滞在しましたが、それも渾源県が中心です。
大同市内と渾源との移動は路線バスをつかいました。片道2.5元。車窓の景色がめずらしくてたまらないんですね。窓ガラスに顔を押しつけているのが、地元のほかの乗客にはふしぎでしょうがなかったでしょう。
大同県と渾源県とを分ける峠を越えて最初に . . . 本文を読む
小老樹の写真をさがしていて、この写真をみつけました。なかなかきれいです。緑の地球環境センター(大同県周士庄鎮)になる予定の小老樹の林のなかで咲いていたのです。
きれいな花ですが、猛毒をもっているそうで、これを食べると地を駆けるものはすべて死に、空を飛ぶものもすべて死ぬ、とあります。中国名は狼毒で、学名はStellera chamaejasme。
梅原さんにこの花の写真をみてもらったら、「ジンチ . . . 本文を読む
やったー! レンゲショウマ(Anemonopsis macrophylla)が咲きました。種から育てて5年になるでしょうか。キンポウゲ科レンゲショウマ属で、一属一種の日本固有種だそう。
つぼみは7つついているのですが、そのうち最初のものが咲きました。一気にパーッと開くかと思っていたんですけど、そうじゃないのです。4日ほどまえからつぼみがふくらみ、ゆるんできていたんですけど、まだ開かない。そしてき . . . 本文を読む
私の小老樹びいきはだんだんエスカレートしました。かつてのパソコン通信のハンドルネームを「小老樹」にしていましたし、いまでもいくつかの場面でつかっています。
そして、小老樹はえらい! 日本でも中国でも老人が勝手な買い物をしているけれども、そのクレジットカードをよくみると、書かれているのは孫の名前だ!
それにたいして小老樹は、自分は育たなかったけれども、毎年、枯れ葉や枯れ枝を落として土を肥やした。 . . . 本文を読む
小老樹の林は私たちの事業にも深くかかわってきました。最初の協力拠点、環境林センター(大同市南郊区平旺郷)は以前にも書いたとおり、土の粒子が小さく、とても肥えていました。もとはここは果樹園で、周囲の住宅からでる生活汚廃水をほとんど無処理のまま灌漑につかっていたからです。
アンズやポプラなど広葉樹の育苗にはとてもつごうがよく、苗の生育も順調でした。
ところがマツをはじめとする針葉樹の育苗には適さな . . . 本文を読む
大同で私たちが緑化協力をはじめた直後に高名な先覚者に「黄土高原ではじめるとは、シロウトは勇敢だ。成功することがあれば君たちがいちばんだ。でもあそこでは木は育たないよ」と言われたことがあります。
小老樹の林のなかで暗澹たる気持ちになったのは、そのことを思いだしたからです。
そして、なんとない違和感に最初に気づいたのは足の裏です。土の感触がやさしいんですね。あっ、ここを書いていてその情景が詳細によ . . . 本文を読む
1960年代のことだったようですが、「北の雁北、南の湛江」という言い方があったと、大同の林業関係者からききました。全国の2つの成功モデルだったのだそう。
雁北地区は、雁門関の北の意味で、なんども書いているように、大同の周辺の農村県からなっていた行政区画です。最初に私が訪れたころは10県で構成されていましたが、そのうち7つの県は大同市と合併して現在の広域の大同市になり、残りの3県は西隣りの朔州市に . . . 本文を読む
ポプラは成長の速い樹木ですが、そのぶん水の要求量も多いようです。立花吉茂先生に最初に会ったとき「乾燥地にポプラを植えるといったバカなことをやってないでしょうね?」といわれたのは、そのことをさしていたのでしょう。
でも、小さな苗のうちは水の必要量も多くはないので、順調に生育します。ところが大きくなるに従って、水の必要量が増えます。
桑干河流域ではこのポプラを平面に高密度に植えました。隣りの木と枝 . . . 本文を読む