村の元会計さんに引っ張られていったのは、母屋の前の中庭の小さな隠居住まい。老夫婦で暮らしているそう。
ちょっと昔話をしていると、「ここに高見がきているときいた」といって、入れ代わり立ち代わり人が訪ねてきてくれるのです。たいてい高齢者で、なかには杖を頼りに不自由な体を運んでくれた人もいます。「この家にだって1年ぶりだ」といって。
主が私に「いまでも酒を飲むのか?」ときくので、「毎日だ」と応えると . . . 本文を読む
そうだ、あのビデオをみてみようと思って、テレビ朝日が1998年に放映した素敵な宇宙船地球号シリーズの「黄色い大地に生きる」をみました。そのときの通訳を王黎傑がしてくれているんですね。それで思いだしました。
彝(イ)族のお嫁さんへインタビューというか、詰問を彼女がしたんですよ。「あなた、どういう事情でこんな村にきたの?だまされたの?」
答え「あの人が、西服(スーツ)をきちんと着て、たくさんお土産 . . . 本文を読む
井戸のすぐ近くの家には何度も泊めてもらいました。お嫁さんが貴州省からきた彝(イ)族の人で、丸顔でクリクリ眼。どうしてこんな結婚が成り立ったかきくと、大同は石炭の街で、南方からもたくさんの人が働きにきていて、人のルートができていたようです。
そのお嫁さん、自分一人では寂しかったのでしょう。つぎつぎに自分の村の娘を紹介して、この村の人と結婚させたのです。おかげでなんと、この村には電気炊飯器のある家が . . . 本文を読む
テレビの取材場所としてこの村を選んだのは、ふつうの農民とのつきあいが濃厚だったことがあります。私もずいぶんな回数、農家にホームステイさせてもらいました。まだ若かったからできた、ともいえるでしょうね。
多くの村はたいてい村の党支部の幹部をつうじてのつきあいで、長い年月のあいだに交替している可能性が高いんです。村を離れてしまっている人も少なくありません。こういうところに行っても、知り合いに会えるとは . . . 本文を読む
これまで長々と苑西庄村のことを書いてきたんですけど、じつは2018年9月に、突然、この村を訪れることになったからです。
日本のさるテレビ局が私たちの協力事業を取材して番組をつくることになりました。張家口市蔚県での事業は2016年度にはじめたところですので、その実績だけでは標準未満で、とうてい番組にはなりません。
大同では霊丘県の南天門自然植物園、渾源県呉城村のアンズ畑、大同県の実験林場カササギ . . . 本文を読む
せっかくいい関係のできていた苑西庄村ですが、2003年ごろを最後に足が遠のいていました。井戸を掘り、果樹園をつくって、私たちにできることがとりあえず終わったこともあります。
その一方で、私たちのしごとの規模が大きくなり、内容も複雑になりました。
1999年に南天門自然植物園にとりかかり、2000年に環境林センター(南郊区)を20haまで拡張し、2001年には実験林場カササギの森に着手しました。 . . . 本文を読む
井戸を掘ったのは1998年ですが、掘る前にもなんどかツアーの人たちがこの村でホームステイしたことがあります。黄土高原の農村の厳しさを知ってもらうには最適の村だったのです。
風呂はおろかシャワーさえ考えられもしません。朝起きて、顔を洗う水にも事欠くのです。でも、ツアー参加者にはものすごく好評でした。
それにはこの村の人たちの善良さが大きく影響したと思います。なにもない貧しい村でしたけど、心からよくし . . . 本文を読む
掘りに掘って176mにもなり、この県でいちばん深い井戸になりましたが、幸い水がでました!
実際に水がでてしばらくたってからですが、苑西庄村で通水式がもたれました。村の人は全員が集まり、出稼ぎにでている人や、結婚して村をでた女性たちもこの日は村に帰って出席したそうです。
「もらい水の歴史に終止符が打たれた!」「長生きはするものだ、こんないい日にめぐり合えるとは!」といって、一人の老人は涙をぬぐお . . . 本文を読む
テレビ朝日でその番組が放映されると、緑の地球ネットワークの事務所の電話が鳴りつづけました。この番組を契機に入会してくださる人が相次ぎましたし、寄付も集まりました。正直なところ、私はこのような結果を予測して、取材に協力することにしたんですね。
農業協同組合(JA)の全国組織も寄付に取り組んでくれました。おかげでまず苑西庄村で井戸を掘りました。
責任を負うことになった祁学峰は、気が気でないのです。 . . . 本文を読む