中国の内陸部での緑化協力にかかわる報告です。
続々・黄土高原レポート
1356話)私のこどものころ 豆
豆
いろんな種類の豆を作っていましたけど、多いのはダイズ(大豆)です。畑に専門に植えたのは記憶になく、たいていは水田の畔(あぜ)に植えた畔豆です。水田に稲を植えますね。水がもれないよう、その底に粘土が敷きつめてあります。私たちの記憶を遠く超えた先祖たちがやったこと。
畔立ては毎年やります。水田の縁が畔ですが、そこから水がもれないように土を固めていくわけです。いまはプラスチックの板をつかったりしていますが、以前は田んぼの土を鍬で固めていました。それが畔なんですけど、その土地もムダにしないように、ダイズを植えたのです。水分が好きだったんでしょう。
こどものころ、枝豆として食べた記憶はありません。熟させてから、使っていたと思います。代表的なのが豆腐ですけど、これについては機会を改めます。味噌については以前に書きました。それから粉にひいて、きな粉として使っていました。おもちにつけるんですけど、こどもたちはアズキ(小豆)のあんこのほうがずっと好きです。するとおばあちゃんは、「大豆は肥える、小豆は痩せる」といって、大豆のほうにこどもを誘導するのです。この時代は、肥えるのほうがずっとだいじでした。
アズキは書いたことにして、つぎはサンドマメ、インゲンです。これも豆を熟させてから食べて、未熟なサヤインゲンとして食べた記憶はありません。
エンドウを私は大好きでした。実を採るための品種だったと思うんですけど、未熟なものをサヤごと食べました。味噌汁の実にするのが、私は大好きだったんですけど、それはいまも変わりません。
庭先の家庭菜園で、いまも豆を栽培しています。インゲンマメが中心です。つるあり種をつかえば、長くたくさん収穫できるからです。エンドウは連作障害がきついので、ずっと避けていました。ところがネットの情報で、インゲンマメとエンドウとでは連作障害はない、という情報をえたのです。つごうのいい情報はとりあえず信じることにして、エンドウも植えてみたところ、なるほど、いまのところは無事です。
いろんな種類の豆を作っていましたけど、多いのはダイズ(大豆)です。畑に専門に植えたのは記憶になく、たいていは水田の畔(あぜ)に植えた畔豆です。水田に稲を植えますね。水がもれないよう、その底に粘土が敷きつめてあります。私たちの記憶を遠く超えた先祖たちがやったこと。
畔立ては毎年やります。水田の縁が畔ですが、そこから水がもれないように土を固めていくわけです。いまはプラスチックの板をつかったりしていますが、以前は田んぼの土を鍬で固めていました。それが畔なんですけど、その土地もムダにしないように、ダイズを植えたのです。水分が好きだったんでしょう。
こどものころ、枝豆として食べた記憶はありません。熟させてから、使っていたと思います。代表的なのが豆腐ですけど、これについては機会を改めます。味噌については以前に書きました。それから粉にひいて、きな粉として使っていました。おもちにつけるんですけど、こどもたちはアズキ(小豆)のあんこのほうがずっと好きです。するとおばあちゃんは、「大豆は肥える、小豆は痩せる」といって、大豆のほうにこどもを誘導するのです。この時代は、肥えるのほうがずっとだいじでした。
アズキは書いたことにして、つぎはサンドマメ、インゲンです。これも豆を熟させてから食べて、未熟なサヤインゲンとして食べた記憶はありません。
エンドウを私は大好きでした。実を採るための品種だったと思うんですけど、未熟なものをサヤごと食べました。味噌汁の実にするのが、私は大好きだったんですけど、それはいまも変わりません。
庭先の家庭菜園で、いまも豆を栽培しています。インゲンマメが中心です。つるあり種をつかえば、長くたくさん収穫できるからです。エンドウは連作障害がきついので、ずっと避けていました。ところがネットの情報で、インゲンマメとエンドウとでは連作障害はない、という情報をえたのです。つごうのいい情報はとりあえず信じることにして、エンドウも植えてみたところ、なるほど、いまのところは無事です。
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