以前、このようなことを記していました。
今回ひょんなことから、工藤先生に会うことになり、興味深いお話を伺うことができました。
なんだか思いがけない運びで、東村山で交わりということに。
昼食をはさんで有意義な時間でした。
与えられた新たな交わりの広がりを感謝しています。
自分のiPhoneで記念撮影すれば良かった...ちょっと緊張気味で忘れてました。
さて、そろそろ3月も終わります。
月報に掲載した、今月の礼拝説教(旧約聖書講解)の要約です。
レビ記25章では、7年ごとに安息の年として休耕するようにと命じられている。これにより、土地の状態は良好に保たれる。また、手入れなしで自然に実った果実は、国内の奴隷、在留異国人や家畜などの食料にもなった(25:6,7)。主はその期間の食料の保証もなさった(25:20-22)。50年目にはヨベルの年を迎える(25:8-10)。『解放を宣言する年』である。手放された土地が元の所有者に返され、イスラエル人の奴隷は自由が与えられる。後の預言者イザヤはメシヤによる解放(イザヤ61:1)を預言し、イエスの到来はその成就である(ルカ4:18,19,21)と伝える。私たちは、罪からの解放、真の自由を喜ぼう。レビ記26章には、律法への態度で『祝福とのろい』とが定められている。周辺諸国の法にも類似の構成が見られるものの、イスラエルをエジプトから解放した、唯一の神の律法という点で特有である。それゆえ、神とイスラエルとの関係を守る規定が再確認される。偶像崇拝の禁止と安息日の遵守(26:1,2)。神はイスラエルの必要をご存知で、豊かに満たすことのできる方であるが、真の祝福は神の臨在にある(26:11,12)。また、イスラエルの不従順ゆえの災いの中にも、神の憐れみと真実は尽きない(26:42)。私たちは、キリストのゆえに律法ののろいから贖われており(ガラテヤ3:13)、成功や繁栄への利己的な欲望からでもなく、のろいへの恐怖心からでもなく、主の真実に支えられて神に仕えるのである。
昨日の午前中は、ワンデークラフト。
イースターの季節を迎えますので…
今回も十数名の方々が集まり、語らいながらクラフトの時間を楽しんだそうです。
この時間を楽しみにして、欠かさず参加して下さる方々がいるのもうれしいことです。
夜は祈祷会。
5名程度の小さな集いですが、共に祈り学ぶ幸いな時間。
昨晩は、前日の超教派の集会に出席した方々の証しも聞くことができました。
それぞれの関心や課題に自主的に取り組むみなさんの姿から、私も励まされています。
教会の交わり、牧会における、「互いに」という要素の素晴らしさですね。
私たちの互いの間で御業を現す、主の御名を賛美します。
私も聖書宣教会と牧会塾での学びを継続する予定です。
受講に興味のある方は、ブックマークのところから各サイトをご覧下さい。
土・日曜日の夕食は、ユースの仲間といっしょでした。
土曜日は東村山教会で。
メニューはオムライス。
H君のリクエストでした。
たまごも上手に包んであり、味も美味しかった!
日曜日は、いつも通り東京教会のダイニングで。
この日はカレーライス。
薄焼きたまごを敷いてあります。
連日の食卓を囲む交わりの時。
笑いあり、真面目な話ありの、時間を忘れる語らいのひとときでした。