ブログ更新がすっかり疎かに…
このブログに時々立ち寄ってくださる方々を心配させてしまっているかもしれませんが、本人は元気にしています。
今年の春先あたりから、セルフケアを自分の課題にしています。
それで始めたウォーキングも定着。
最近は、途中にジョギングも入れて、(なるべく)毎日5㎞を目標にしています。
スマホアプリも活用しながら体調管理を優先して、生活を見直しているところです。
おかげさまで、体力と気力が徐々に戻っているのを実感しています。
務めをふさわしく果たすためにも、自分のコンディションを整えておきたいと思います。
さて、これも久しぶりになりますが、説教のあらすじを掲載しておきます。
2019年6月に旧約聖書からお話しした説教の分(2回)です。
『主のことば』:Ⅰサムエル記3:1-14
聖書はサムエルの成長ぶりを伝えて、「主に仕えていた」(2:11,18; 3:1)とくり返す。これは主への礼拝のため、彼が何らかの奉仕を担っていたことを意味する。その当時、サムエルは祭司「エリのもとで」(3:1)、つまりその指導のもとで育った。サムエルが育った環境や時代(士師21:25)は、健全な信仰が育まれる条件が整っていたとは言い難い。しかも、時代の闇の深さを反映するように(3:1)「そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった」とも言われる。まるで、主が沈黙しているようだ。ただし、そのような時代にも、『主のことば』を取り次ぐ将来の預言者が育まれていた記録に希望の光を見出す。現代の私たちには自分たちの言語で読める聖書があり、情報を伝達する便利な手段があるにしても、聖書を説き明かして教える奉仕者の必要は切実である。健全な教えを説く奉仕者、牧師や教師を、主がこれからの時代にも備えてくださるよう祈りたい。(2019.6.16)
『主のことば ⑵』:Ⅰサムエル記3:15-21
聖書は神のことばである。その聖書を正しく教える人の存在は大切だ。少年サムエルは初めて『主のことば』を受けたものの(3:4-14)、それは皮肉にも祭司エリとその一族へのさばきの宣告だった。その後、サムエルは主のことばを取り次ぐようになり、月日は流れ、心身ともに成長していった。(3:19)「主は彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とすことはなかった」という。彼が語ったことがすべて実現したために、サムエルは主の預言者だと人々に広く認められていった(3:20)。あの最初の経験とは別にもう一度、主はサムエルにご自分を現されたとも言われる(3:21)。このようにして、神はサムエルの預言者としての召しを確かなものとし、働きを確立していった。サムエル記冒頭の一連の出来事は、サムエルというひとりの預言者が立てられるまでの主の御業を物語る。主のことばがイスラエルの民に伝えられるため、主はサムエルを選び、召し、立てた。現代も、主はみことばを取り次ぐ奉仕者を選び、召し、立てて、用いる。(2019.6.23)
聖書はサムエルの成長ぶりを伝えて、「主に仕えていた」(2:11,18; 3:1)とくり返す。これは主への礼拝のため、彼が何らかの奉仕を担っていたことを意味する。その当時、サムエルは祭司「エリのもとで」(3:1)、つまりその指導のもとで育った。サムエルが育った環境や時代(士師21:25)は、健全な信仰が育まれる条件が整っていたとは言い難い。しかも、時代の闇の深さを反映するように(3:1)「そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった」とも言われる。まるで、主が沈黙しているようだ。ただし、そのような時代にも、『主のことば』を取り次ぐ将来の預言者が育まれていた記録に希望の光を見出す。現代の私たちには自分たちの言語で読める聖書があり、情報を伝達する便利な手段があるにしても、聖書を説き明かして教える奉仕者の必要は切実である。健全な教えを説く奉仕者、牧師や教師を、主がこれからの時代にも備えてくださるよう祈りたい。(2019.6.16)
『主のことば ⑵』:Ⅰサムエル記3:15-21
聖書は神のことばである。その聖書を正しく教える人の存在は大切だ。少年サムエルは初めて『主のことば』を受けたものの(3:4-14)、それは皮肉にも祭司エリとその一族へのさばきの宣告だった。その後、サムエルは主のことばを取り次ぐようになり、月日は流れ、心身ともに成長していった。(3:19)「主は彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とすことはなかった」という。彼が語ったことがすべて実現したために、サムエルは主の預言者だと人々に広く認められていった(3:20)。あの最初の経験とは別にもう一度、主はサムエルにご自分を現されたとも言われる(3:21)。このようにして、神はサムエルの預言者としての召しを確かなものとし、働きを確立していった。サムエル記冒頭の一連の出来事は、サムエルというひとりの預言者が立てられるまでの主の御業を物語る。主のことばがイスラエルの民に伝えられるため、主はサムエルを選び、召し、立てた。現代も、主はみことばを取り次ぐ奉仕者を選び、召し、立てて、用いる。(2019.6.23)
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。