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先日、池袋の教会を会場にしている講座に出席してきました。キリスト教カウンセリングセンター(C.C.C.)が開いている、交流分析の研究会(全10回)です。
このセンターの講座を受講するのは初めてです。ちょっとした緊張感を味わいつつ、最初のクラスに参加。行ってみれば、ほど良い参加人数で、落ち着いて学べそうなクラスの雰囲気でした。
今回、私がこの講座の受講を決めたのは、まず自分自身を知る助けを得るためです。そして結果的に、他者へのサポートをより適切に果たせるようになればと思っています。
初回はおもに、交流分析の下地となる基本的な概念や用語の解説等を聞きました。私の場合、この分野の専門知識の蓄積があまりありませんので、とても助かりました。
自分の復習がてら、少しだけ内容に触れますと…「自我状態」は、CP,NP,A,FC,ACの5つに分類されます。CPは批判的親。NPは養育的親。Aは大人。FCは自由な子ども。ACは順応した子ども。
自分の認識では、A > NP > ACという傾向があるかなぁと思っています。今回のクラスでの説明を聞きながら、ACに含まれるRCの傾向もややあるかもと思いました。RCは反抗する子どもです。ちなみに、FCは私にとって「長年の課題」というと大袈裟かもしれませんが、少しは改善されてるかどうか…。このブログの記事にもそうですが、実生活にも休息や気晴らしを入れるようにしています。
次回、エゴグラムを扱う予定ですので、その結果はどうなるでしょうか…
散歩のときに撮った写真を入れておきます。
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牧師として働き始めて、14年目を迎えました。
13年間いろいろなことがありました。東京に来た当初には予想もしなかった状況にありますが、これまで私の経験してきた一つ一つが今につながっているように思います。そして、それは「今に」というだけでなく、「将来に」つながるとも言えます。
今日のウォーキングの最中、あるPodcastを聞いていました。
Beeson Divinity Podcast
John Calvin: A Reformer for Our Time
この講義の中で、ふと私の心に留まったことがありました。
宗教改革の先進的な神学者、カルヴァンの一つの特徴に refugee (亡命者)だったことを挙げています。彼はフランスから、迫害から逃れて、ジュネーヴに身を寄せて、働きの場としました。
当時の状況からそうせざるを得なかったのでしょうが、その状況、その条件で、後々までも残る働きをしました。神のなさることは、人の思いを超えています。
途中から脱線して、スケールの大きな話になってしまいましたが…
身近な話に戻しますと、私も含めて今の開拓教会に集う方々は、ある意味で「流れ着いた者」同士という見方もできるかな…と思います(教会の皆さん、失礼な言い方ですみません)。でも、だからこそ信仰や教会について大切にできる視点や志もあるのではないかと私は思っています。
この時代にあって、聖書に基づく教会のあり方、健全さを共に追い求めていく交わりは、私にとって慰めに満ちたものです。新年度を迎えて、この一年も神のみこころが実現していきますように。