マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

配慮が必要ですね

2008-09-30 15:50:12 | 神学校・講座
今日は牧会学の講義でした。
前回の続きで牧会におけるパートナーシップというテーマ。
前回は、信徒や配偶者とのパートナーシップでした。

今回は牧師家庭の子供に関してでした。
その中での問いかけと答えですが・・・

Q. 牧師家庭の子供も献身者なのか?
A. NO.不用意に牧会に巻き込むことは望ましくない。

PK(Pastor's Kids)が特殊な環境に置かれていることを理解すべきということでした。
当然、配慮は必要です。

ちなみに、このクラスは序論ですので原則までです。
具体的なケーススタディは先だそうです。


あと、牧会の諸問題というテーマ。
三つのポイントが挙げられました。

 一貫性:聖書の言葉に根ざした一貫性は、信頼関係の構築のために必要。

 守秘:牧会者の守秘は、義務であり、責任であり、特権である。

 距離感:信徒とのふさわしい距離感は必要である。

一般的な人間関係の中でも大切だとは思うのですが、牧会者は仕事の性質上より慎重であるべきなのでしょう。
普段から自分自身を点検しつつ、役割をふさわしく果たせるように心がけたいと思います。

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休日

2008-09-29 16:53:36 | ちょっと息抜き
午前中は自宅でのんびりと過ごしました。

昼食を食べてから、教会へ。

今日はあいにくの雨ですが、あまり机に向かってばかりでも何ですので・・・
事務的な用事を済ませて、ついでに100円ショップまで行きました。
先月末に頂いた観葉植物のための肥料などを買ってきました。
礼拝堂の窓際で、順調に育っています



さて、昨日の礼拝説教は・・・
「真価が問われるとき」
出エジプト記4:27-6:9

神様の素晴らしさを知るとき、きっと誰しも礼拝したい気持ちになるでしょう。
神様の偉大さや恵み深さを知ることで、自然と感謝や喜びが生まれます。

しかし、神様を信じていても、自分の思い通りに物事が運ぶとは限りません。
試練もやってきます。
予想もしなかった困難を経験するとき、辛いことや悲しいことがあったとき、どんな態度を取るでしょうか。

この聖書の場面では、モーセもイスラエル人もそれぞれ辛い立場に追い込まれます。
イスラエル人はモーセに対して、「主があなたを裁かれますように
モーセは神様に対して、「何のために私を遣わされたのですか
それぞれの置かれた状況は、確かに同情の余地はありますが・・・。

神様はモーセの訴えに対して、「わたしがしようとしていることは、今にあなたに分かる」と応えました。
そして、「わたしは主である」と宣言しました。
ここで、神様のドンと構えた姿をイメージします。
イスラエル人の一時的なピンチは、むしろ想定内、計画通りのプロセスでした。

しかし、結局イスラエル人は、「落胆と激しい労役のため」それ以上モーセに聞こうとはしませんでした。
最初の礼拝の心は、困難とともにどうやら失われてしまったようです



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講演会

2008-09-27 21:18:39 | 神学校・講座
昨日の神学校での昼食の時、講演会の案内がありました。
貴重な機会なので、行ってみようかなと考えています。
その頃にはちょうど秋休みにもなりますので。

聖書考古学資料館 第15回 聖書考古学セミナー

「古代ペルシャと聖書」


楽しみです

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どんな感じでまとめようか・・・

2008-09-27 18:57:14 | 教会の風景
今日の昼過ぎまでは、礼拝説教とYouthのショートメッセージに時間を費やしました。
祈りながら聖書に向かい、何度も読み、思い巡らします。
明日教会に集まる方々のためでもあるのですが、自分がまず教えられます。
準備の終わる頃には、自分自身が探られ、感謝や悔い改めの祈りをもって閉じることになります。


さて、日中時間ができましたので、ちょっと草取りの続きをしました。
庭の花の水やりも。
その後、来客があり1時間ほど話をしました。


そして、帰宅までに時間がありましたので、牧会学のレポートのまとめを始めました。
 「Toward a pastoral theology (牧会の神学について)」という課題です。
昨夜、思い当たる聖書箇所をピックアップする作業をしてました。
内容的にまだまとまりがありませんが、少しずつ形にしていきたいと思います。
10月7日提出です。
がんばります

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一つ終わりました

2008-09-26 18:47:17 | 神学校・講座
今日、新約各書の講義が終了しました。
12回に分けてテサロニケの手紙Ⅰ・Ⅱを学びました。
毎回のレポートもちょっと大変でしたが、身になったと思います。
クラスでの先生の解説や質問の投げかけも、とても勉強になりました

今日も続きの原稿をUPします。
テサロニケⅠ 5:12-28
「教会における平和と聖」

いよいよ手紙の締めくくりとなる。
パウロは、これまでと同じように「兄弟たち」と呼びかける。
そして、教会内の人間関係についての簡潔な命令を述べている。
まず、指導者への尊敬(12,13)を「お願い」として伝えている。
何らかの理由で、指導者に対する理解を回復する必要があったのだろう。
指導者への尊敬を回復することで、教会内の平和を取り戻し、保つことを期待している。
兄弟愛において秀でた(4:9,10)テサロニケの教会ではあったが、それでも教会内の人間関係の成熟のためにはアドバイスが必要であった。
彼らは、訓戒や励ましや援助を寛容な心で適切に行なうことを期待された(14)。
また、主イエスの示された規準(マタイ5:43,44)で善行に励むようにと忠告を受けた。

教会内の人間関係の助言に続いて、神への信仰者としての態度が確認されている。
神のみこころとしての「喜び」と「祈り」と「感謝」が個々の生活に根ざすようにという勧め(16-18)である。
そして、信者は自らの信仰生活に注意を払いながらも、御霊を忘れてはならない(19)。
預言についての言及も出てくる(20)。
一部の信者の逸脱した振舞いのために、本来向けられるべき御霊への信頼が失われていたのではないか。
もちろん、御霊の現われと主張される現象でも、慎重に判別し、善し悪しを見極め、取捨選択は大切である(21,22)。

これらのことが命じられる究極的な理由は何か?
パウロは祈りとともに明らかにしている。
神が、平和の神であり、教会を聖とする(23)からである。
テサロニケの信者たちが熱心に待ち望む、主の再臨に向けて、主の真実のゆえに、それは果たされていく(24)。

私たちも、これらの数々の命令を心に留めたい。
主イエスの再臨を見据え、神の望む平和と聖が、私たちの間に保たれるように。
そして、私たちを召された方の真実に信頼し、私たちの間で働かれる御霊に期待していこう。

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