マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

どんぐりの背比べ

2019-10-08 21:42:00 | ちょっと息抜き
先日、ウォーキングをしている公園で、どんぐりを拾ってきました。
季節を感じるのも、ちょっとした気分転換になります。



テーブルに並べてみて、眺めました。
「どんぐりの背比べ」ですね。

自分と人とを比較して、ほんのわずかな違いで優越感に浸ったり、劣等感に悩んだり…
相手を自分の尺度で測って、イライラしたり、いらぬお節介を焼いたり…

お互いに窮屈で、意味のないことだと分かっているはずなのに。
謙虚で寛容な心を与えてください…と祈るばかりです。


9月分の礼拝説教のあらすじを掲載しておきます。

旧約聖書からの2回分です。

2019年9月 Ⅰサムエル記8章
説教題:『王を立ててください』
 「歯車が狂う」とは「どこかにくい違いが生じて、順調に進んでいたことがうまくいかなくなる」と辞書で説明される(大辞林)。聖書は、悔い改めたイスラエルの民のその後について伝える。サムエルは年老いていた(8:1)。世襲は異例であるものの(参照:士師8:22,23)、サムエルは自分の息子ヨエルとアビヤを民のさばきつかさに任命した。ところが、その息子たちは、利得を求め、不正を行い、職務にふさわしくない人物だった(8:2,3)。聖書には彼らの任命の経緯や理由についての記録がないが、後に続く出来事の伏線になっている。民の長老たちは事態を重く見て、こぞってサムエルを訪ねた(8:4,5)。彼らはサムエルに『王を立ててください』と切望した。息子たちをさばきつかさに任命したサムエルに、彼らの代わりとなる王の擁立を願ったのだ。この要求は、民族のアイデンティティにも深く関係する問題を含んでいた。本来、イスラエルは主なる神を王とし、主の民とされている(出エジプト19:6)。サムエルの息子たちに困り、イスラエルの将来を案じていたにしても、「ほかのすべての国民のように」という長老たちの意識から出た要求は、主を退けているのと等しい(8:8)。教会の運営、牧師や役員、奉仕者の任命という人事にも、教会に対する主のみこころが実現されるよう注意を払うのは、信仰面からも肝要である。
(2019.9.8)

説教題:『あなたがたを治める王の権利』
 新約聖書で使徒パウロは、信者は心を新たにすることで、神のみこころをわきまえていくように教えている(ローマ12:2) しばしば、神のみこころと私たちの思いには隔たりがある。サムエル記が伝える、イスラエルの長老たちが王を求めたのも、主の民にとって最適な願いとは言い難い。主はその願いを容認されるが、将来予想される結果を警告する。預言者サムエルを通して、『あなたがたを治める王の権利』を告げた(8:10-17)。王は民から「取る」存在となる。民の息子や娘、畑や収穫、奴隷や家畜、収入に至るまで、王国維持のために取り上げる。真の王である神を退けて、人間を王に立てる負担は大きい。この警告のことばを聞いた長老たちは、それでもまだ自分たちの主張から離れなかった(8:19)。「ほかのすべての国民のようになり」という意識を手放せない(8:20)。神から受けている自分たちのアイデンティティに価値を見出せず、かえって周りに合わせることで、この世を渡っていけると考えているようだ。しかも、彼らのイメージする王の姿には偏りがある(8:20)。理想が過ぎると過剰な期待や現実逃避となる。「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」と神のみこころを求め、心を新たにされたい。
(2019.9.15)

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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準備を進めています

2019-10-03 23:04:00 | 教会の風景
10月に入りました。
東村山聖書教会は、月末に奥多摩で一日リトリートを予定しています。
その機会の礼拝と交わりのために、準備を進めているところです。

自然に囲まれた環境の中、日常の慌ただしさから離れて、共に静まります。
一年に一度のことですが、互いの親睦を深めてリフレッシュする機会にもなっています。




さて、礼拝説教のあらすじを掲載しておきます。
旧約聖書からの講解説教2回分です。

2019年8月 Ⅰサムエル記6-7章
説教題:『神に対して償いを』
 ペリシテ人たちは、神の箱の扱いをダゴンの祭司と占い師に相談した(6:2)。イスラエルの神がもたらした災いに困り果てた末、彼らが頼ったのは自分たちの宗教や占いだった。真の神から離れている人間の姿を考えさせられる。ペリシテ人にしてみれば、神の箱はイスラエルとの戦いに大勝して手に入れた戦利品の一つだ。それを送り返そうというのだから、屈辱も混じった複雑な心情も考えられる。祭司や占い師らは、出エジプトのエジプト人とファラオを引き合いに出して、「心を硬くする」のを戒めた(6:6)。そればかりか、『神に対して償いを』と助言した。神の箱を元に返すだけでなく、真の神に対する不遜の罪を認めて償うようにということだ。真の神を敬わない罪は重く、その代償は大きい。神への不遜な態度は私たち罪人にとって根深い問題だ。しかし、イエス・キリストが私たちの罪の償いとなってくださったことにより、神は私たちを受け入れてくださる。心を頑なにせず、罪を認め、キリストを信じて、神に感謝しよう。

説教題:『心のすべてをもって主に立ち返る』
 悔い改めについて聖書から考えたい。神の箱がイスラエルの領地内に戻って二十年(7:2)。神の箱は戻ったものの、どうやら先の戦いの勝敗による両国の力関係に変化はなかったようだ。ただし、イスラエルの民の心に顕著な変化が見られた。「イスラエルの全家は主を慕い求めていた」とある。敗戦、神の箱の喪失と回復を経て、民全体が主なる神を切実に求めるようになるまで二十年という月日を要した。一方、サムエルは、『心のすべてをもって主に立ち返る』ようにと民に悔い改めを勧める。具体的には、異国の神々を取り除きなさい、心を主に向けなさい、ただ主に仕えなさい、と教えている(7:3)。これは、それまでのイスラエルの人々の信仰、霊的状態を踏まえて、明確な方向転換を促す指導だ。民はサムエルの指導に従い、サムエルもまた民のために祈ると、主はイスラエルを助けてペリシテ人の攻撃から救われた(7:4-14)。神は心から悔い改める者を蔑まれず、深く憐れんで救ってくださる。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。



写真は、日曜の礼拝時、講壇脇に飾られていた生花です。




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