マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

オリーブがすくすくと

2020-07-20 22:26:00 | ちょっと息抜き

自宅のベランダのオリーブがすくすくと育っています。昨年植え替えをしたのも良かったようです。

 


 
ところで私は、5月の半ばからダブルワークの生活を送っています。コロナ以前から考えていたことで、多少時期はズレたのですが生活と仕事のペースを考慮しながら過ごしています。
それで、気にはかけているものの、ブログ更新が滞りがちです…
久しぶりの更新になりました。
 
 
6月に教会でお話しした、礼拝説教のあらすじ(旧約聖書からの講解2回分)を掲載しておきます。
 
サムエル記第一15章10-16節
説教題:『わたしは悔やむ』
主は、預言者サムエルに(15:11)「わたしはサウルを王に任じたことを悔やむ」と告げた。神が『わたしは悔やむ』という場合、何を意味しているのだろうか。「悔やむ」という語は、「深いため息をつく」ことに由来するようだ。まるで想定外の失敗を悔しがっているようでもある。だが、聖書には(15:29)「実に、イスラエルの栄光である方は、偽ることもなく、悔やむこともない。この方は人間ではないので、悔やむことがない。」ともある。全能の神には失敗や想定外はあり得ない。それゆえ、「わたしは…悔やむ」とは、サウルの不信仰と不従順に心を痛め、深く悲しんでいるのを表すのだろう。(15:11)「彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ」とある。サウルは神のことばを軽んじ、神よりも自分の判断を優先したからだ。新約聖書では、キリスト者にこう教えられている。(エペソ4:30)「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。」私たちがみことばを軽んじるなら、神は深く悲しむ。神のことばを聴こうとしない罪を軽視してはいないか。
2020.6.14.
 
サムエル記第一15章17-23節
説教題:『主の御声に聞き従う』
預言者サムエルは、サウルに不従順の罪を指摘し、自覚を促そうとする。(15:17-19)「あなたは、自分の目には小さい者であっても、イスラエルの諸部族のかしらではありませんか。主があなたに油を注ぎ、イスラエルの王とされたのです。 主はあなたに使命を与えて言われました。…なぜ、あなたは主の御声に聞き従わず、分捕り物に飛びかかり、主の目に悪であることを行ったのですか。」サウルは王に召され、神のみこころを行う使命があった。「使命」とは「道」という語の翻訳だ。主が備えている働きとふさわしい生き方があるのを想起させる。それでも、サウルは己の過ちを悟らず、(15:20)「私は、主の御声に聞き従い、主が私に授けられた使命の道を進みました。」と主張する。サウル自身の認識と「主の目」に映る姿には大きな隔たりがあった。預言者のことばは彼の罪の本質を鋭く示す。(15:22,23)「主は、全焼のささげ物やいけにえを、主の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。従わないことは占いの罪、高慢は偶像礼拝の悪。」私たちの心と生活とが『主の御声に聞き従う』ものであるように。
2020.6.21
 
 
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
平穏に過ごせる日々を祈りつつ。

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