マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

バランス

2017-09-27 22:41:24 | 最近の読書
先日、ふと思いついたことをネット検索していたら、以前お世話になった先生の論文をたまたま見つけました。
私にとって、内容も興味深く、わかりやすい翻訳で読みやすかったので、その場で早速読んでみました。

『現代神学の概観』 デイル・W・リトル 著 北野 献慈 訳 

この論文の結論部分では、このように述べられています。
「神学は聖書と文化という二つの極の間で機能している。福音主義神学者にとって、啓示の極である聖書はいつも強調されなければならないものだ。同じことが、福音派の牧師や宣教師についても言える。なぜなら神学者だけが『神学をする』のではないからだ。 牧師が聖書を教え、またこの世での信仰者の生活について教えているということは、 彼らもまた神学をしているということだ。(中略)そして良いバランスを持っている人は、聖書を究極の権威とする人である。」

私に与えられている務めのためにも、「神学をする」ことにおいて良いバランスを持ちたい、と願いを新たにさせられました。
そうは言うものの、この時代にあって、良いバランスを保つことは、なかなか困難な課題です。
祈りとともに、神のことば、聖書への地道な取り組みを大切にしていきたいと思います。


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このブログのことも話題に

2017-09-25 20:37:09 | 教会の風景
昨日も、午前は主日礼拝。
礼拝後は昼食もご一緒して、午後の話し合いと続きました。
その「話し合い」の時間ですが、牧会を考えるための学びの時間も設けました。
それから、年末に向けての諸行事や来年度のことを検討しました。
また、昨日は話の流れから、出席者の互いの近況などを簡単に分かち合う時も持ちました。
限られた時間ではありますが、有意義でした。

ところで、昨日の話し合いの中で、このブログのことも、たまたま話題になりました。
更新も内容も、まとまりなく「マイペース」ですし、それほど積極的にこのブログを宣伝してるわけでもないのですが、「読んでます」「見つけましたよ」という声をかけてくださいます。
こうしてブログを続けていることで、何かのお役に立てているのなら、それも私にとってうれしいことです。






さて、月末を迎えますので、今月の礼拝説教のあらすじも掲載しておきます。

2017年9月 旧約聖書の講解説教 士師記6章
 新約聖書(ヘブル11:2)「昔の人々はこの信仰によって称賛されました」とし、士師記に登場するギデオンも、そこに名を連ねる(同32)。主は、イスラエルをミデヤン人の手から救うためにギデオンを召した(6:14)。次に主が求めたのは、身近なところでの具体的な応答の一歩。父ヨアシュが持つバアルへの祭壇などを取り除き、主への祭壇を築いて、いけにえをささげることだった(6:25,26)。これらの記述に当時のイスラエルの霊的退廃ぶりが伺われる。その夜のうちにギデオンは 『主が言われたとおりにした』ものの、(6:27b)「彼は、父の家の者や、町の人々を恐れた」とある。ギデオンにしてみれば、自分の置かれた環境の中で、予想される反対や迫害への恐れも抱えつつ、主への応答の一歩を踏み出した。信仰による応答の一歩には恐れも伴う。若く、経験も乏しければなおのことだ。しかし、実生活で主への応答の一歩を踏み出す者を、主は守り、用いてくださる。
 神のことばへの信頼をテーマに考えたい。神は、そのことばをもって、人を召し、導き、お用いになる。一方で、私たちの心は何と迷いやすく、疑い深く、煮え切らないものだろうか。これまでのところで、主はギデオンを召し、導き、整えてこられた。彼によって、ミデヤン人の手からイスラエルを救うべく、準備を進めてきた。ここで聖書は、ミデヤン人らの動きを記し(6:33)、その上、主の御霊がギデオンをおおったとし(6:34)、民の諸部族から協力する者たちも集まり始めたと伝えている(6:35)。今や、ギデオンがその使命を果たす時が来たようだ。ところが、当の本人はこの期に及んで、主に対して『もしあなたが仰せられたように』と、神の召しのことばの確証を求めた(6:36-)。二度目は特に恐縮しつつも、一頭の羊の毛と露とにより、二度にわたってしるしを求めた。 結局、主は二度とも彼の求めに応え、まして御怒りを燃やしたとは言われていない。ここに主の忍耐と寛容を思う。主のみことばは真実で、どんな時でも信頼するにふさわしいものだ。一方、神のことばを素直に受けとめることにおいて、私たちはなお、主の忍耐と寛容、憐れみを必要としている。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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再会も

2017-09-18 13:20:34 | コラージュ
先日、母校である豊橋市立南部中学校 70周年記念式典が行われました。

東日新聞の記事

卒業以来、私はすっかりご無沙汰していたのですが、思いがけず、学年代表(各学年から2~3名)のお話を頂きました。
妹が式典の司会を務めることになっていたので、そのつながりからお声がかかったのだと思いますが。

それにしても、一緒に代表になったY君には申し訳ないほどに、代表とは名ばかりでY君に頼りっきりの私でした。
そんな心苦しさはありますが、これをきっかけに同級生との関わりが広がったのは、私にとってとてもうれしいことです。


さて、先日の記事で、東京に来ることで新たな出会いがあったと書きましたが、ここ数年でかつての友人たちとの再会もありました。
自分の人生の中で、こうした出会いや再会がどのようにつながっていくのか...なんてことも、しみじみと思っているところです。

この数年来、身近な環境では大きな変化を経験しましたので、痛みや疲れも伴っていることには違いありませんが、自分にとっては転機ともなっているように思います。
やっぱり、自分の思惑や計画を越えた存在を認めずにはいられません。



久しぶりにコラージュを作ってみました。


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期末を控えて

2017-09-15 14:11:10 | 神学校・講座
夏期調整期間が開けたと思ったら、もう前期期末が迫っています。
神学校の本科の研修生になって、もう4年目のことですから、十分にゆとりをもって迎えられるといいのですが...。
それでも私の場合は、いくつか先に単位取得している科目もありますから、正規のカリキュラムの研修生よりは時間の工面がしやすいはずです。

それはそうと、今週から、図書館の机(カレル)の優先利用の期間に入りました。
卒業予定者に、それぞれ優先的に使える席が充てがわれました。
想定内ではあるものの、通常授業期間に入って卒論のために割ける時間は減っていますので、与えられた条件を活用しながらカバーしていきたいです。


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発送・提出・報告

2017-09-09 20:51:53 | 神学校・講座
夏期調整期間が明けて、通常授業が再開しています。
今週は、発送・提出・報告の一週間でした。
もちろん、授業と教会奉仕もあってのことですが。

まず、神学校のニュースレター『聖書宣教会通信』の発送作業がありました。
『聖書宣教会通信』をお読みになりたい場合は、聖書宣教会のサイトから、「刊行物のご案内」のコーナーでご覧頂くことができます。

あと、木曜日には卒論のプログレスレポートの2回目の提出も終えました。
まだ一章分を執筆したところですので、これからです。
出来はともかく、私自身の学びにとっては、これまでの一区切りとなるものです。
最後まで集中力を欠かさずに取り組んでいきたいと思います。

9月のチャペルの時間には、キャラバン報告も組まれています。
すでに、国分寺(香川)、天白(愛知)、伊勢(三重)と3チームから聞きました。
それぞれの地で、同じく主を信じておられる方々の存在と宣教の働きに励まされています。
また、各地の教会が直面している課題なども考えさせられ、祈りに覚えました。


一週間の学びと明日の準備もひとまず終えて、ホッと一息。



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