マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

ひとつ終わりました

2009-10-26 17:25:08 | 教会の風景
今日〆切のレポートが無事終わりました
また一つ終わったという充実感もあり、ちょっとホッとしています

今回の牧会学のレポートは牧会と「家族療法」をテーマにしました。
心理学における「家族療法」の基本概念は、家族を一つのシステムとして考えます。
そして、家族の構成員の関係を調整して、家族の調和を目指していくものです。

最近考えていることを、聖書と資料をもとに自分なりに整理。
やはり考えを文章にするのは、つくづく大変な作業だと実感しました
量としてはたいしたことはないのに、時間ばかりかかってしまいます。
それも考えを整理するための大切なプロセスなのでしょうが。

あとは、土曜日までに組織神学のブックレポートとまとめです。
今週から後期の講義も始まります。
今学期は、組織神学の神論・キリスト論、そして新約神学を学びます。

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散歩

2009-10-23 19:00:36 | ちょっと息抜き
今日もいい天気でした。
夕方、仕事の合間に妻と散歩に出かけてきました。
教会から歩いて30分ほどのところにある多摩湖に行きました。
程よい運動ときれいな景色でリフレッシュになりました。







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発表

2009-10-20 17:52:35 | 神学校・講座
前期の牧会学(カウンセリング)の講義が終わりました。
無事ブックレポートと発表もできました。
 担当した本は・・・「聖書カウンセリング概説」 山口勝政 著
まず一つの課題を終えたという達成感があります

今期のカウンセリングの学びも、私にとってとても有意義でした。
神学校の理論の学びと牧会の現場での経験がつながっていくようです。
自分の中で「こういうことなのかな・・・」と整理。
本当にすべてが神様の備えであると感謝しています。

あとは1週間ほどの休みの間に、牧会学・組織神学のレポートです。
学んだことを整理して、きちんとした形に残しておきたいと思います。

午後は教会に戻り、礼拝説教の準備。
そして、先ほどベストライフへ行ってきました。
土曜日に微熱でベッドに寝ていたM先生は、今日は車イスでした。
お食事もしっかり召し上がっているそうなので一安心。
ちょうどKさんも来ていて、部屋の掃除と片付けをしてくださいました。

私が学びや奉仕に落ち着いて取り組めるのは・・・
こうした周囲の方々の理解と支えと祈りがあるからこそです。


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タコライス

2009-10-19 18:30:22 | 教会の風景
昨日の礼拝には、近々海外に出かける友人が訪ねてくれました。
礼拝後、しばらく前にオープンした近所のカレーのお店で昼食をいっしょにしました。
彼とはゆっくり話すことができ、楽しく過ごしました。
そして、午後はクリスマスに向けての賛美練習。

夕方はいつものようにYouth For Jesusでした。
使徒の働き6章から学びました。
初代教会で起きたクレーム処理の場面。

使徒たちの方針と提案より。
使徒の務めにおいての優先事項(祈りとみことば)。
教会の交わりを支える人の存在。

久しぶりに夕食をUPします。
タコライスでした。

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規定

2009-10-16 11:26:32 | 教会の風景
最近の礼拝では、出エジプト記の律法の規定から学んでいます。
教会の月報用にまとめたあらすじです。

十戒を授かり、神の臨在を目撃したイスラエル人たち。
主はモーセに民へのメッセージを託した。
再度、神との関係を強調し(23)、その上で祭壇に関する教えに触れる(24-26)。

こうした『規定の始め』に祭壇に関する事柄が来るのは、当時の他の文化とも共通する点である。
その場合、少なくとも、律法における祭壇の占める位置付けは明確である。
規定によって人の罪が明らかになり、その贖いの必要性が生じるからである。
また、祭壇でいけにえがささげられることにより、神は民に臨み、祝福を与える(24)ということである。
私たちにとっては、まさにキリストによる贖いを想起させるものである。

この祭壇に近づく際には階段を用いることが禁じられた(26)。
裸を見せないためである。
聖なる神に近づく罪人の謙遜な姿を示すと言われる。
贖いによる罪の赦しと神の臨在と祝福が約束されているとは言え、自らの罪深さを意識しない高慢さは神に受け入れられない。

具体的な規定に入り、まず最初に取り上げられるのが、奴隷の扱いに関するものである。
奴隷の存在自体はすでに族長時代に確認できる。
ここでは、神が奴隷の扱いに一定の秩序を与えた。
あらためて見ていくと『神の知恵と配慮』の込められた規定である。
当時の諸文化の規定と比較すると、規定のこの位置に奴隷に関する事項が来るのは異例のこと。
神の劇的な救出を経験し、エジプトの奴隷から解放されたことを思うと、イスラエルにはまさにふさわしい規定なのであるが。

7年目の自由の保障(2)や奴隷として残るという選択の権利と儀式(5)には、自由が与えられながら、主人や家族への愛情を理由に自発的にしもべの人生を選ぶ者の姿が浮かび上がる。
これもまた苦難のしもべであるキリストを想起させる節である。
また、女奴隷の立場の保護の規定(7-11)も含めて、神の民という共同体が健全に機能していくための神の知恵と配慮の深さに、私たちは恐れと驚きを覚え、御名をあがめるのである。

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