先週はキャラバン(伝道実習)の準備と並行しながら、礼拝説教の準備でした。
ちょうど神学校の調整期間に入って、一週間の猶予があったので、なんとか両立。
しかし残念ながら、夏期研修講座には参加できませんでした。
日々、学びと奉仕とのバランスに苦心しながらというのが実情です。
もともと時間の使い方はそれほど上手とは言えないのですが、それでも必要に迫られて訓練されている感じでしょうか。
自分では進歩の実感はありませんが…。
この夏もいろいろな活動を予定しています。
今日からキャラバン伝道です。
私たち夫婦のことを覚えて祈っていてくださる方々の祈りにも支えられ、学びに奉仕にと励んでいきたいと願っています。
それにしても、夏の間に前期前半の学びの遅れと教会の仕事で普段なかなかできないことも取り戻していかないとなあ。
さて、久しぶりになってしまいましたが、礼拝説教のあらすじを掲載します。
旧約聖書の講解説教の分です。
5月の礼拝説教のあらすじ(旧約聖書講解 申命記30章)
主は、アブラハムを選び、彼とその子孫とを祝福し、契約を結んだ。その主の 契約を大前提とし、イスラエルの民の『悔い改めと回復』を教えている。「あな たの神、主に立ち返り」(30:2)の「立ち返り」とは、「元いた場所に戻る」こ とを意味する。その後のイスラエルの歴史を見ると、「祝福とのろい、これらす べてのことが、あなたに臨み...」(30:1)と言われているとおり、堕落した民は 苦難を経験し、その苦難の中でようやく主に立ち返るということをくり返す。 悔い改めのもう一つの側面は、主が「元どおりにし」(30:3)てくださる点だ。 「立ち返り」と「元どおりにし」は、同じ語が使われているのも興味深い。主は 立ち返る民を受け入れ、元どおりにする。「あなたを再び、集める」(30:3)と も言われ、その徹底ぶりは「たとい、あなたが、天の果てに追いやられていても」 (30:4)と表現される。民が主に立ち返るとき、主は民を元どおりに回復してく ださる。その悔い改めと回復の理解は、ソロモンの神殿奉献時の祈りにも見られ る(I列王記8:33,34)。主のもとにこそ、私たちの帰るところがある。
6月の礼拝説教のあらすじ(旧約聖書講解 申命記31章)
120歳のモーセは、この地上での務めを終えようとしていた(31:2)。まもなくこの世を去る指導者は、次世代にどんなことばを残しただろうか。イスラエルの民と次世代の指導者ヨシュアへの励ましのことば、「強くあれ。雄々しくあれ。…」(31:6)だった。モーセは、神の民の『強さの秘訣』を神が共にいてくださることにあると明示した。「主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」とも言う。のちに、イスラエルの王ダビデがその子ソロモンに王位と神殿建設の事業とを託す時にも、同様の励ましのことばがかけられた(Ⅰ歴代誌28:20)。
聖書では、創世記から音楽や歌に関する記述が見られる(4:21,31:27)。また、(出エジプト15章)には、イスラエルの主への賛美が記されている。約束の地を目前にし、主はモーセに「『彼らの口にこの歌を』置け」と命じた(31:19)。その歌のことばが「わたしのあかし(証拠、証人)」とされる。歌のことば、そのメッセージの重要性をここに見る。それは後々までも受け継がれ、役割を果たすとされる。賛美のことばへの意識を見直し、主に賛美をささげたい。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
ちょうど神学校の調整期間に入って、一週間の猶予があったので、なんとか両立。
しかし残念ながら、夏期研修講座には参加できませんでした。
日々、学びと奉仕とのバランスに苦心しながらというのが実情です。
もともと時間の使い方はそれほど上手とは言えないのですが、それでも必要に迫られて訓練されている感じでしょうか。
自分では進歩の実感はありませんが…。
この夏もいろいろな活動を予定しています。
今日からキャラバン伝道です。
私たち夫婦のことを覚えて祈っていてくださる方々の祈りにも支えられ、学びに奉仕にと励んでいきたいと願っています。
それにしても、夏の間に前期前半の学びの遅れと教会の仕事で普段なかなかできないことも取り戻していかないとなあ。
さて、久しぶりになってしまいましたが、礼拝説教のあらすじを掲載します。
旧約聖書の講解説教の分です。
5月の礼拝説教のあらすじ(旧約聖書講解 申命記30章)
主は、アブラハムを選び、彼とその子孫とを祝福し、契約を結んだ。その主の 契約を大前提とし、イスラエルの民の『悔い改めと回復』を教えている。「あな たの神、主に立ち返り」(30:2)の「立ち返り」とは、「元いた場所に戻る」こ とを意味する。その後のイスラエルの歴史を見ると、「祝福とのろい、これらす べてのことが、あなたに臨み...」(30:1)と言われているとおり、堕落した民は 苦難を経験し、その苦難の中でようやく主に立ち返るということをくり返す。 悔い改めのもう一つの側面は、主が「元どおりにし」(30:3)てくださる点だ。 「立ち返り」と「元どおりにし」は、同じ語が使われているのも興味深い。主は 立ち返る民を受け入れ、元どおりにする。「あなたを再び、集める」(30:3)と も言われ、その徹底ぶりは「たとい、あなたが、天の果てに追いやられていても」 (30:4)と表現される。民が主に立ち返るとき、主は民を元どおりに回復してく ださる。その悔い改めと回復の理解は、ソロモンの神殿奉献時の祈りにも見られ る(I列王記8:33,34)。主のもとにこそ、私たちの帰るところがある。
6月の礼拝説教のあらすじ(旧約聖書講解 申命記31章)
120歳のモーセは、この地上での務めを終えようとしていた(31:2)。まもなくこの世を去る指導者は、次世代にどんなことばを残しただろうか。イスラエルの民と次世代の指導者ヨシュアへの励ましのことば、「強くあれ。雄々しくあれ。…」(31:6)だった。モーセは、神の民の『強さの秘訣』を神が共にいてくださることにあると明示した。「主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」とも言う。のちに、イスラエルの王ダビデがその子ソロモンに王位と神殿建設の事業とを託す時にも、同様の励ましのことばがかけられた(Ⅰ歴代誌28:20)。
聖書では、創世記から音楽や歌に関する記述が見られる(4:21,31:27)。また、(出エジプト15章)には、イスラエルの主への賛美が記されている。約束の地を目前にし、主はモーセに「『彼らの口にこの歌を』置け」と命じた(31:19)。その歌のことばが「わたしのあかし(証拠、証人)」とされる。歌のことば、そのメッセージの重要性をここに見る。それは後々までも受け継がれ、役割を果たすとされる。賛美のことばへの意識を見直し、主に賛美をささげたい。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。