先日のYouth for Jesusでは、使徒の働き21章の前半を学び、御霊の示し、御霊の導きについて考えました。
使徒の働き19章から21章のパウロのエルサレム行きの記述には、一見矛盾があるようにも見えます。
Luke has too high a doctrine of the Holy Spirit to portray him as changing his mind.
(The Bible Speaks Today - The Message of Acts / John R.W.Stott)
教会を導き、建て上げる御霊がなさることは、人の思いを越えて深遠です。
ここでは、御霊が示す内容とそれを受けとめる人々の解釈にギャップが生じたようです。
御霊はパウロの近い将来を予告し、それを聞いた人々は、「だからエルサレムに行くべきではない」と解釈したのでしょう。
御霊が何を示し、どのように導こうとしておられるのか・・・みことばとの注意深い照合と見極めとが必要でしょう。
ところで、ここからは私自身の経験です。
今から7年程前のことです。
当時、生計のため週4日のアルバイトをしながら、3日は教会での奉仕という生活をしていました。
そのような中、ある友人から、「学費をサポートするので神学校で学んで欲しい」との申し出。
しかも、「何度祈っても、そのような結論に導かれる」ということでした。
当時の私は、彼の申し出に恐縮しながら、辞退することを丁重に伝えました。
その費用で注解書を購入して、教会の図書へ献本してもらうことで本人には了解をもらいました。
正直なところ、その時の私は、神学校で学ぶことが主の導きだと確信できませんでした。
その頃、また別の機会にこんなことがありました。
アメリカの教会で牧師をしているI先生が、私の通う教会に訪ねてきました。
別の用件で訪ねて来られたようでしたが、交わりのテーブルで同席した折に、しきりに神学校で学ぶことを勧められました。
しかし、その時も心には留めたものの、すぐに行動開始とはいきませんでした。
そして、3回目に神学校で学ぶ話が出たのが、今の東村山教会への招聘の条件としてでした。
この時の決断には、みことばからの明確な確信を受けて進むことができました。
そのような経緯の中に、神様の忍耐深い導きや丁寧な備えを覚えて驚くばかりです。
一つ一つの出来事が、その当時の私の新たな一歩につながりました。
私はいまだに神のみこころに従うことに鈍いと思いますが、主の導きは常に真実です。