マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

債務証書は無効

2007-11-29 17:34:49 | 教会の風景
「イエス・キリストの受難」第7課


キリストの十字架の死は・・・

『律法が突きつける法的責任を無効にするため』


  聖書箇所 コロサイ 2:13,14

「あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、

神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。

それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、

いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。

神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。」



善行>悪行となる日が来ると考えるのは愚か? その理由は?

① それは本当ではない。
  自分では善行と思っていても、その動機がふさわしいものであるか?
  「すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるため」に人々に仕えよという基本原則。
  私たちの善行でさえ、神様の目には欠陥だらけ。


② 神はそのようにして私たちを救おうと定めてはおられない。
  善行と悪行を秤にかけて善行が多く重くなれば救われるのではない。
  私たちの罪と悪は、善行で帳消しにはできない。


イエス・キリストの十字架の死こそ、私たちの希望。
キリストが十字架に釘づけにされた時、私たちの罪に対する債務証書が抹消された。
その結果、私たちは律法の要求する罪の代価から解放されている。



救い主イエス様、感謝します!
自分では決して払いきることができない負債をあなたが払ってくださいました。
私がどんなに頑張っても無理なことを、あなたが成し遂げてくださいました。
あなたこそ、私の希望です。

父なる神様、感謝します!
あなたが御子イエス様をこの世に遣わしてくださったことを感謝します。
今、あなたの御前に平安と感謝と礼拝の思いで出ることができます。

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エアコンの移設

2007-11-29 16:48:41 | 教会の風景
母子室で長年使われていたエアコンが故障した。
下の写真の右側。
かなり年季の入ったもの。
「今度故障したら、もう部品がないので取り換えです。」と業者さんから言われていたそうだ。

この前の日曜日は、取りあえず牧師室で使っていたもの(左側)を移動。


どうしよう?
ということで、裏手のプレハブにあるエアコンを移設してはどうかという話に。
こちらも決して新しくはないが、まだ作動することはする。


今日午後3時に業者さんに見積りを出してもらう手配をした。
神学校から帰り、しばらくしたら業者さんがいらっしゃった。
調べてもらう中で案外面倒なことがわかってきた。

まず、ガスの接続部分の違い。
ワンタッチで付けられるようになっているが、移設したいのは直結するタイプ。
取り付け口の工事が必要とのこと。

そして、電圧の違い。
移設したい方のは200V。
なぜここだけ200V?
今使っている配線を母子室の方まで移動させなければならない。

そして、移設しようとしているエアコンも移設後どのくらい持つかは何とも言えないとも・・・。

う~ん、費用がどのくらいかかるのかが判断基準かな。
いろいろな選択肢を考えて、故障したエアコンの撤去のみの見積りもお願いした。
ちょうど教会設備の換え時なのかもしれない。

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お昼寝スポット?

2007-11-28 14:31:57 | 教会の風景
しばらく前から時々こんな来客。
現在使っていないプランターがちょうど良いベッドになっているみたい。
平日の日中は人の出入りもそれほどない。
しかも、天気のいい日は、昼頃には陽射しも当たるので確かにいい場所かも。
この場所がお気に入りらしく、気持ち良さそうにお昼寝タイム。


近くでカメラを向けていたら気付いてしまったようだ。
迷惑そうな顔をされてしまった・・・。

昼食のため一時帰宅したが、戻ってきてもまだお休み中。

また迷惑そうな顔をされてしまった。

その後、しばらくクリスマス礼拝のチラシを配って戻ってきたが・・・

まだお休み中だった~
完全に熟睡か。

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Footprints 1

2007-11-27 12:49:00 | Footprints
救い主イエス様を知ることは本当にすばらしいです。
聖書に出会って、私の人生は大きな影響を受けました。
神様の愛と救いを受けていることは、他の何ものにも換えられません。


神様は、私が信仰に導かれるために道を用意してくださっていました。
今回はそのエピソードを紹介したいと思います。


私の育った家庭は、キリスト教とは関わりがありませんでした。
家には仏壇があり、習慣として仏教の行事をしていたような環境でした。
ですから、私も両親や曾祖父や祖母のしていることを見て同じことをしていたわけです。


ですが、小学2年生の夏休み、家の近所の教会で「夏期学校」というのが開かれました。
両親は私と妹をそこに参加させてくれました。
親としては、「子供の宿題や面倒を見てくれるのはありがたい」といったところだったのでしょう。


そこで初めて聖書の話を聞きました。
天地創造やノアの箱舟の話を聞いたことを覚えています。
♪雄々しくあれ 強くあれ♪ ♪福音の汽車♪など歌ったことも覚えています。


あと、今では微笑ましい思い出ですが、こんなこともありました。
その夏期学校の聖書のクラスの先生が、「今日はこの言葉を覚えるまでは帰れません。」と言って、ヨハネ3:16のことばが書かれたカードをくれました。
その時の私はなかなか覚えられず、なんとか逃げだそうとしました。
しかし、帰り際にその先生に発見され、捕まってしまった!!
「そういえば、まだ言ってなかったでしょ?」と言われて非常に困ったことを覚えています。


ちなみにこの時期には続けて教会に通うことはしませんでした。
サンタクロースからプレゼントをもらえるクリスマス会に行ったくらいです。
それでも、この時期の経験が、後に教会を訪ねる時の準備となったことは否めません。


神様は本当に深い配慮のある方です。
すでにいくつもの伏線があり、私に対する神様の計画は進んでいたのでした。
もちろん、その当時の私はそんなことは全く気にも留めていませんでした。

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知らせなさい

2007-11-26 17:10:29 | 教会の風景
昨日の礼拝はW先生がご奉仕くださった。

「主を証ししよう」
聖書箇所 マルコ5:1-20

「・・・主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。・・・」(19節)

主が自分をどのように救ってくださったのかを最近話したのはいつのことだったでしょうか?との問いかけ。
クリスチャンの間では「救いの証し」という言葉で表現されたりする。
自分自身のことを考えても、救いの証しをすることは案外少ない。
あらためてそのことに気付かされた。
率直に、しかも正直に飾らず伝えることを大切にして伝えていきたい。

これから、このブログでも証しをしていこうと思う。

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