昨日も、教会に集まった方々と幸いな礼拝の時間を過ごしました。
ただし、集っている各自の状況は様々です。
中には、試練のただ中を通っておられる方もいます。
今が順調であろうと逆境であろうと、真実な神に信頼する姿には、こちらが襟を正され、祈り心を新たにさせられます。
午後は、有志による話し合いと役員会。
この話し合いの前半には、いつも学びを入れています。
最近は、『信徒といっしょの牧会』 (井出定治 著 いのちのことば社) から学んでいます。
昨日は、牧師と信徒の関係や牧師の権威の問題について、学びました。
牧師の権威は、positionalではなく、functionalだということを再確認。
参加者各自が、教えられたことを自分のことばにして分かち合うことで、ますます理解が整理され、深まります。
共に学びつつ、運営上の具体的な話し合いも進められ、ゆっくり前へ一歩一歩。
さて、もう月末になります。
11月の礼拝説教(旧約聖書からの講解説教の分)のあらすじを掲載しておきます。
2017年11月 士師記8-9章
『落とし穴』は、目立たないために気付かずに近づいて陥るものだ。主によってミデヤン人に大勝利を収めたギデオン。イスラエル人は彼に「私たちを治めてください」と申し出た(8:22)。それに対し、ギデオンはきっぱりと断り、イスラエルを治めるのは、彼でも彼の子孫でもなく、主であると明言した(23)。ただし、ギデオンは、戦利品から金の耳輪を求め(24)、その金でエポデを作り、彼の町オフラに置いた(27)。聖書はこれらの出来事を淡々と伝えている。だが、イスラエルを救うために尽くしたとはいえ、これらのことは、律法にかなわず、しかも実質は王のようであり、公私混同が過ぎたのではないか。「それはギデオンとその一族にとって、 落とし穴となった」(27)。ただし、真実で憐れみ深い主は、民には四十年の穏やかな時代を(28)、ギデオンには幸せな晩年を(32)与えている。主への感謝と礼拝を差し置いて、人間への称賛と美化に向かうところに危険がある。常に主を拝する者でありたい。
「言行一致」とは「口で言うことと行動とに矛盾がないこと」(大辞林)とされる。身近な人や家族への信仰の証しと継承に大切なことだろう。エルバアルこと、ギデオンの言動は息子たちにどのように伝わっていたのだろうか。彼は息子のひとりに「アビメレク(私の父は王)」と名付けていた(8:30,31)。ギデオンの真意は不明瞭だが、いずれにせよ言行一致とは言い難い。父の死後、『エルバアルの子アビメレク』は、自分が王となるために兄弟たちをことごとく滅ぼそうと企んだ。彼は、自分の母方の親類、同郷シェケムの人々を味方に引き入れた(9:2,3)。彼らの身内びいきが判断を狂わせ、アビメレクの愚行を助長させた。彼は手に入れた資金でならず者を雇い、難を逃れた末子ヨタム以外の兄弟たちを皆殺しにした(4,5)。アビメレクが王になると(6)、ヨタムはその愚行を非難した(7-20)。主はこれらのことを見過ごさず、アビメレクとシェケムの人々とに相応の報いをもたらされた(22-24,56,57)。ギデオンが言行一致を欠いたことの代償は、あまりにも大きかった。言行一致の自己吟味を欠かさず、主のみこころを行えるようにと祈りたい。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
ただし、集っている各自の状況は様々です。
中には、試練のただ中を通っておられる方もいます。
今が順調であろうと逆境であろうと、真実な神に信頼する姿には、こちらが襟を正され、祈り心を新たにさせられます。
午後は、有志による話し合いと役員会。
この話し合いの前半には、いつも学びを入れています。
最近は、『信徒といっしょの牧会』 (井出定治 著 いのちのことば社) から学んでいます。
昨日は、牧師と信徒の関係や牧師の権威の問題について、学びました。
牧師の権威は、positionalではなく、functionalだということを再確認。
参加者各自が、教えられたことを自分のことばにして分かち合うことで、ますます理解が整理され、深まります。
共に学びつつ、運営上の具体的な話し合いも進められ、ゆっくり前へ一歩一歩。
さて、もう月末になります。
11月の礼拝説教(旧約聖書からの講解説教の分)のあらすじを掲載しておきます。
2017年11月 士師記8-9章
『落とし穴』は、目立たないために気付かずに近づいて陥るものだ。主によってミデヤン人に大勝利を収めたギデオン。イスラエル人は彼に「私たちを治めてください」と申し出た(8:22)。それに対し、ギデオンはきっぱりと断り、イスラエルを治めるのは、彼でも彼の子孫でもなく、主であると明言した(23)。ただし、ギデオンは、戦利品から金の耳輪を求め(24)、その金でエポデを作り、彼の町オフラに置いた(27)。聖書はこれらの出来事を淡々と伝えている。だが、イスラエルを救うために尽くしたとはいえ、これらのことは、律法にかなわず、しかも実質は王のようであり、公私混同が過ぎたのではないか。「それはギデオンとその一族にとって、 落とし穴となった」(27)。ただし、真実で憐れみ深い主は、民には四十年の穏やかな時代を(28)、ギデオンには幸せな晩年を(32)与えている。主への感謝と礼拝を差し置いて、人間への称賛と美化に向かうところに危険がある。常に主を拝する者でありたい。
「言行一致」とは「口で言うことと行動とに矛盾がないこと」(大辞林)とされる。身近な人や家族への信仰の証しと継承に大切なことだろう。エルバアルこと、ギデオンの言動は息子たちにどのように伝わっていたのだろうか。彼は息子のひとりに「アビメレク(私の父は王)」と名付けていた(8:30,31)。ギデオンの真意は不明瞭だが、いずれにせよ言行一致とは言い難い。父の死後、『エルバアルの子アビメレク』は、自分が王となるために兄弟たちをことごとく滅ぼそうと企んだ。彼は、自分の母方の親類、同郷シェケムの人々を味方に引き入れた(9:2,3)。彼らの身内びいきが判断を狂わせ、アビメレクの愚行を助長させた。彼は手に入れた資金でならず者を雇い、難を逃れた末子ヨタム以外の兄弟たちを皆殺しにした(4,5)。アビメレクが王になると(6)、ヨタムはその愚行を非難した(7-20)。主はこれらのことを見過ごさず、アビメレクとシェケムの人々とに相応の報いをもたらされた(22-24,56,57)。ギデオンが言行一致を欠いたことの代償は、あまりにも大きかった。言行一致の自己吟味を欠かさず、主のみこころを行えるようにと祈りたい。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。