この前の日曜日の午後は、教会員有志による話し合い、その後に役員会が行われました。
私たちの教会で定期的に開かれている話し合いでは、前半に学びの時間を設けています。キリスト教の書籍を少しずつ読み進め、お互いに教えられたことを分かち合うスタイルで行ってきました。
今回で『信徒といっしょの牧会』(井出定治著 いのちのことば社 1997年発行)を読み終えましたので、次回から別の書籍になります。毎回のわずかな時間ですが、お互いの牧会や教会への理解と意識が深まっていくことを願っています。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
今日も少し時間を作って外出。入間川沿いを歩きました。川沿いの桜も少しずつ咲き始めていますが、まだまだこれからです。何気なく、すぐ近くにある枝を撮影。
…と、その近くでキジ(雉)を見つけました。
キジがいたのは私の前方でしたから、このまま歩いていくと逃げてしまうかなと思っていましたが...
この辺りにいるということはむしろ人馴れしてるのでしょうか...
私が結構近くにいても、逃げるどころか、気にせず歩きまわっていました。
これ以上、エサ探し?のお邪魔をしてもいけませんので、iPhoneで写真を撮って、私はその場を後にしました。
このところ、体を動かそうと心がけています。今日も用事を済ませた後は、徒歩で40分くらいの遠回りをして帰宅しました。これまでもその程度の時間は十分にあったでしょうに、なかなかその気にならず…。この心境の変化は何なのか、今までは長い長い冬眠の期間だったのでしょうか。
ところで、話は変わりますが、久しぶりにコラージュを作ってみようと思いつきました。
この一年を振り返って、いろいろな思い出の場面の写真を集めてみました。このコラージュにあえてタイトルをつけるならば、『再会と送別』とでもしておきます。この一年のいろいろな『再会と送別』の機会に重ねて、自分の人生や仕事について再考することにもなりました。
まだまだ未熟ですし不勉強で情けないと思うこともしばしばですが、今の自分だからこそ分かること、見えてくること、受けとめられることもあります。神のみこころにより、今の自分があるのだとしみじみ思います。
先週から今週にかけて、新たな門出に立ち会うことが重なりました。
先週末、浦和で新たにスタートする教会を訪ねました。K先生を通じて知り合い、数年来の親交を持つ方々です。当初は開所式に一参加者として出席するつもりでした。ところが、説教奉仕のご依頼を頂いて、30分ほどお話することになりました。
新たな一歩を踏み出す方々への勧めと励ましになればと願い、『目を上げて畑を見なさい』と題してお話ししました。父のみこころを行うイエスというモデル、もう刈り入れるばかりの状況という人々のニーズ、収穫作業に与るという喜び、これら三つの要点でした。
「あなたがたは、『まだ四か月あって、それから刈り入れだ』と言ってはいませんか。しかし、あなたがたに言います。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」(ヨハネ4:35)
当日は、教会のスタートメンバーに加え、各地からの参加者も、さらに案内を見て参加したという地域の方々もいました。一つの群れが新たな一歩を踏み出すという機会に立ち会わせて頂きました。
今週に入って、今度は神学校の卒業式に出席しました。私の在学中に、学びと祈り、食事や運営上のいろいろな活動も共にした方々の卒業に立ち会いました。
式の中での卒業生の挨拶には、それぞれの信仰や人柄、神学生時代に学んできたことがにじみ出てていました。共に神学生時代を過ごしてきただけに感慨深く耳を傾けました。皆さんはいよいよこれからですし、私よりもひと回りかそれ以上若い方々です。頼もしく思います。
また、お世話になった先生方や卒業生にも会うことができました。それもうれしいことでした。久しぶりの懐かしい再会もありました。
現代の傷んでいる社会や教会は深い闇と痛みを抱えていますが、今も変わらず、そこに遣わされていく人々がいます。この世に対する主の憐れみが尽きないことの現れだと私は思います。神の愛とキリストの恵みがふさわしく届けられていきますように。