稲束を叩いて柔らかくする為に、木槌と台の加工です
本来であれば、硬く重い楢か栗の木が良いのだろうが我が家の荒廃田には
柳しか生えていない まさか人様の山林から、頂いてくる訳にはいかないし
なんとも体裁が悪いけど、俺の技量ではこれが精一杯 使えるかな
台はもう少し、太い方が良いな またチェーンソー持参で行ってこよう
稲束を叩いて柔らかくする為に、木槌と台の加工です
本来であれば、硬く重い楢か栗の木が良いのだろうが我が家の荒廃田には
柳しか生えていない まさか人様の山林から、頂いてくる訳にはいかないし
なんとも体裁が悪いけど、俺の技量ではこれが精一杯 使えるかな
台はもう少し、太い方が良いな またチェーンソー持参で行ってこよう
岩見沢レールセンター
JR北海道の岩見沢レールセンターに北炭(北海道炭礦汽船)の社章が、付いている
それが前々から不思議だった 石炭産業が斜陽になってJRに売却 ?
数日前に夕張の石炭の歴史村を見学した時、案内の方から聞いてみたら
なんでも、戦中に国策で鉄道省管轄になったとか
それから、国鉄、JRの管理になって今に至っているとの説明 成程、聞いて見るものだ
札沼線 篠路駅
遥か昔 鈍行列車と連絡船を乗り継いで着いたのは、札沼線の篠路駅
農業実習の名目で短期間ではあるが農家にお世話になった
見渡す限りの野菜畑で、山奥から出て行った俺はこれが北海道かと感動
その野菜畑に居る時なんか、丘珠空港の離発着する航空機 珍しさと低空飛行の
騒音にこれまたびっくり その頃、洞爺から出面さんも来ていた
出面さんと同じ作業内容だが、俺の作業効率がすこぶる遅かった
受け入れ農家から、多岐に渡り農業指導を受けたが、我が家とは規模、環境が違い過ぎる
半世紀以上も前の事です 今や都会となっ篠路、あの頃の面影は全くなし
広大な北の大地 あの篠路駅から、俺の北海道カブレが始まった
篠路は「おいらの心の駅」どこかで聞いたような・・・・
それから、ウント、ウント後になって出面さんと洞爺で会うことが出来た
アチコチ観光したな 有珠山、洞爺湖、あのサミット会場になったウインザーホテル・・・・・
ただ、それだけで何事もなし
今、何しているのだろう 生きているのか、亡くなったかも分からない