hiroべの気まま部屋

日ごろの出来事を気ままに綴っています

仏教の思想10 絶望と歓喜<親鸞>(その3)

2017-06-06 08:28:17 | 仏教思想
 かなり長くなりましたが、今日で終わりです。(その2)でほぼ本題は終わり、今日の部分は補足的な内容となります。

 (4.親鸞の信仰、思想とは~主著『教行信証』について~)の続き

4.8 曇鸞のユートピア思想(「証の巻」)
 「証の巻」は浄土へ必ず行くことができるという、浄土往生の保証です。極楽浄土の素晴らしさが『観無量寿経』や『阿弥陀経』にあります。しかし、親鸞は極楽は決してそういう美的な場所、享楽の場所ではない、むしろ実践の場所、衆生(しゅじょう)救済に励めとしています。(これを親鸞は「還相廻向(げんそうえこう)」という言葉で表しています。)
 そして、親鸞は「証の巻」を説く典拠として曇鸞(どんらん、中国浄土の開祖者)の『浄土論註󠄀』(世親作といわれる『浄土論』の注釈書)によっています。この著は夢のような浄土を否定して、より現実的なユートピアを著したもので、親鸞は曇鸞の理想主義に共感したものと思われます。
 なお、親鸞の名の「鸞」の字は、この曇鸞から取り、「親」の字は『浄土論』の著者世親(せしん、または「天親」ともいう、倶舎論や唯識思想を説いたインドの大仏教思想家)からとったと言われています。

4.9 二つの極楽浄土(「真仏土の巻」と「化身土の巻」)
 『教行信証』では仏教一般の歴史観「教・行・証」に親鸞の独自思想「信」が加えられていますが、極楽浄土についても彼の独自思想が表れており、それは第5巻、第6巻に示されています。親鸞は極楽浄土を二つに分けます。
 一つは、真仏土:本当の極楽、第十八願にもとづく人間永遠不滅の喜びの世界
 一つは、化身仏土:『観無量寿経』『阿弥陀経』にもとづく仮の極楽浄土、辺地にあり十分な楽しみを得られない浄土
 
 ここには、親鸞の美的浄土に対する反発が見られます。源信以来の平安浄土仏教への反発があります。法然もそのような古代貴族文化の残滓(ざんし)を否定することはできなかったのです。

 法然の教えを「真宗」として信仰し続けた親鸞ですが、『観阿弥陀経』の否定は、法然をも辺地の仮の浄土に追いやって、彼は阿弥陀様とのみ会話しているように思われます。

5.肉食妻帯肯定の思想
 親鸞に妻が何人いたかはわかっていません。具体的にその人物がある程度特定できているのも越後流罪時の妻恵信尼ですが、その恵信尼は流罪前の妻と同じではなかったと考えられています。
 親鸞が肉食妻帯に踏み切った理由の一つに、彼の偽善を憎む精神があったと考えられます。最澄の『末法燈明記(まっぽうとうみょうき)』には、今は末法の時代、戒のない時代である。その戒のない時代に、持戒の人をさがすのは、虎を市でさがすほど困難なことである、と説かれています。親鸞はこの書をしばしば引用しており、これを信じたのです。

 親鸞は、彼の天台の師慈円について、天台座主を務めて持戒堅固の顔をしているが、恋歌の達人でもあって、そういった偽善が許せなかったということのようです。
 親鸞の立場からは、法然にも矛盾があったと言えます。彼は念仏を簡便にし、愚痴無智の凡夫にまで、知的道徳劣等者にまで浄土への道を開いたが、比類なき程の知恵・知識をもった持戒堅固な高僧であり、専修念仏への非難が起こったとき、七か条の起請文をつくり、弟子に署名させ持戒を求めているのです。

 肉食妻帯思想として、有名なのは、叡山から下りて、京都の六角堂での百日参籠時の聖徳太子の夢告の内容です。一つは法然のもとへ行けと命じていますが、いま一つは、以下の七言律詩です。

 行者宿報設女犯 我成玉女身被犯
 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽

 これは肉食妻帯の肯定であり、しかもこの思想の趣旨を宣説して一生群生(多くの衆生の意味)にきかしめよ、とさえ言っています。
 念仏の大行は善悪を超越している。この他力に自己をまかせる深い宗教的歓喜に比べれば、女を抱くか、抱かないかは、いったい如何ほどのことなのか。ここに自己の内面を覗く親鸞の姿を、あるいは人間というものの根源を覗いている人間の姿をみることができます。

6.「悪人正機」の理論
 親鸞は「煩悩具足の凡夫」(煩悩を背負った凡人という程度の意味)ということば、そのような人間性のうえに立って彼の理論を展開しています。そのような人間性とは「喜ぶべきことが喜べない」「いそぎ赴くべき浄土にいそがずして、いつまでも苦悩の旧里にとどまりたい」といった矛盾をはらんでいます。
 本来の理論はそのような矛盾を排除することを根本とするが、そのような人間性抜きにしての論理など、彼にとって全く意味がないものでした。なぜなら、彼にとっては、そのような人間性を背負うた人間性の救いこそが、唯一の価値ある論題だったからです。

 親鸞の論理は、しばしば世の常識の論理から逆倒したものとなります。
 「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と親鸞は説きます。
 「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」と一般的には説きます。
 親鸞は説きます。「自力作善の人(いわゆる善人)は」「ひとへに他力にたのむところ」に欠けているから、それは「弥陀の本願にあらず」と。
 阿弥陀仏が「願をおこしたまふ本意」は、「煩悩具足のわれわれは、いずれの行にても生死をはなるることあるべからざるをあわれみて」つまり「悪人成仏のため」であるから、「他力をたのみたてまつる悪人」こそが、だれよりもまず往生の正機であるとしなければならない」としているのです。

このように、そこにはまことの人間臭い人間があり、煩悩にさいなまれた人間のすがたがあります。そして親鸞の思想とは、そのような人間を主役とする「ある人生」のストーリーに他ならないと言えます。

 親鸞は、『涅槃経』の「アジャセ王の懺悔」(詳しくはこちらを参照ください)を引用しています。この話はまさに「悪人正機」の趣旨に沿ったものです。ここで、親鸞は自らの息子の起こした事件(善鸞事件、詳しくはこちらを)を頭に浮かべているとも考えられます。父に背き父を苦境におとしいれ、父のまいた信仰の種をも絶滅させようとした善鸞に懺悔せよと、説いているように感じます。同時に、息子をそうしたのは親鸞自身と、自らも懺悔しているのです。

 親鸞はまさに内省の人であったのです。前項目の肉食妻帯肯定の思想においても、親鸞は自己の心にある愛欲と名利(みょうり、またはめいり、名誉欲の意味)の心を悲しげに凝視しています。愛欲と名利は人間にとって業(ごう)のごときものである。業を否定しても不可能であり、業を受け入れつつ、彼は阿弥陀如来にそういう業深い自己の救済を願っているのです。

 「内省の人親鸞は、阿弥陀の本願に自らの救いを見つけ、歓喜したのです。」

 今日で最後と冒頭宣言したのですが、今日も長くなりました。ということで、最後に「親鸞の著作について」を残して、今日はここまでとします。
 また、しばらくお待ちください。