「仏教の思想」による仏教思想の勉強、その11の「道元」、ノート作りが終わりました。
現役時代から続けている仏教思想の勉強ですが、引退後に本格化、「仏教の思想」(全12巻インド・中国・日本の各4巻)のノートを作りながら勉強しています。
インド、中国と終って、いよいよ日本、空海さん、親鸞さんが終わり、今回は「道元さま」でした。
ということで、道元さまの整理が終わって、その概要を整理してみました。
先の親鸞さんの最終(その4、
過去記事)の最後でもほんの少し触れましたが、道元さま、「道元さん」と呼ぶにはあまりにも自他に厳しく、持戒堅固で、しかも超理論家であったようです。
ということで、本著、まさにそんな超理論家の道元さま(以降「道元」と記します)の解説書ということで、一応ノート作りは終えましたが、「あまりよく分からなかった」というのが正直なところです。
とはいえ、一応の覚えの意味で、著書の抜き書きそのままになると思いますが、ポイントと思われる部分を整理してみたいと思います。
多くの思想家がそうだったように、道元の思想を理解する上で、その生い立ちが重要な要素になります。本著でもまずは彼の経歴が語られます。
そして、道元15歳の時、彼は叡山を下り栄西(日本臨済宗の祖)の弟子になりますが、その理由は叡山での修行中に頭に浮かんだ、仏教に対する基本的な疑問の答えを求めての事でした。
やがて、道元は宋にわたり、禅宗の教えを学びます。その中で「正伝(しょうでん):釈迦以来伝わる仏教の正しい教えといった意味」の教えを受け、疑問の答えを得ることになります。そして、その正伝とは彼の有名な言葉「只管打坐(しかんたざ):ただただ坐っていなさいといった意味」だったわけです。
では、なぜ「只管打坐」なのか?早い話、それは「坐ってみきゃ、分からない」ということで、「知りたかったら、坐ってみろ」ということになるのですが、それですと弟子の育成が出来ないと考えたのでしょうか、主著『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』に、実体験から導き出した彼の仏教真理を、「ことば」で表現(道元はこれを「道得(どうて)」と呼びます)していきます。
以上、まずは簡単に整理してみましたが、本著は①「道元の生涯」 ②正伝の意義 ③道元の思想(正伝(『正法眼蔵』)の内容)を狙いとしており、私も私の理解(?)をこの順に追って整理してみたいと思います。
まずはさわりでしたが、次回は「道元の生涯」の予定です。しばらくお待ちください。