82歳からの旅

私の記録

人間は「自分の良心をだます事は出来ない」~古き実践より

2012年12月13日 09時23分27秒 | 日記
   12月14日金曜日   
   「 良心をだますことは出来なかった 」
                  6年2組 辻 敏
 5年生の時僕が、朝時計を合わせていると、振り子がカタ
ンと落ちてしまった。1瞬「しまった」と思った。先生に報告すると
先生は,直そうとしていましたがフリコに小さな糸がついている
のを見付けて「 誰かこわした人がいて、糸でひっかけていたん
やね。」と言った。
 
 そうして「もう時計は古い時計だから、仕方がないけれどこん
な時には届出なさい」と皆に言った。
 自分でない事が分かり安心したが、では一体誰がしたのだ
ろうと思った。然し誰も「私がしましたと届け出る人はいなかった」
 
 さあそれからが大変だった、先生は一人一人の目を見て回っ
たり前の日に最後まで教室にいた人を調べたりしてから最後に先
生は「他の人を騙すことは出来ても、自分の良心をだますことは
出来ませんよ」「そして自分の良心から苦しめられる事はきつい
ですよ」と言いました。

 僕は自分が落とす前に、他に落とした人がいるのか
も分からなくなって来た。皆も不安そうな顔をしていた。

 翌日、皆で色々話しあった後、先生が小さな紙
を配ってそれに「丸を書きなさい」と言った。後で調べて見ると
あった、先生は小さく○のついた其の紙を見せてたった一言、な
るべく早く届け出るように言われた。
 
 僕は「 バンザイ・バンザイ 」と言うような
「ヤレ ヤレ」と言うような妙な気もちだが、安心した気持ちに
なった皆も同じ気持ちに違いないと。

 「壊した人を何時どの様にして、知ったのだろうか」
「それとも壊した人が先生に届出たのだろうか」と思った。

 後略 「教育本来の任務は 教え育てる事」であり こんな時に
調べたり、子供一人一人に聞くことが果たして出来るのか?」など
調査の仕方や、取り調べの仕方には色々な制約や、反対意見もあり
現在の教育現場で果たして適用出来るか?分かりません・・

 教育とは対照である人間に、一定の抵抗を与えてそれを乗りこえ
る処に成長があり、その成長が教育のあかしなのです。

 
 問題は「心」でありこれを見抜く事は、多くの実践や経験がない
事にはとても出来る事ではありません。至難の業です真似の出来な
いことです出来ないのです。「児童や生徒の心が見える教師」それ
こそがプロの教師と言えるのです。

 抵抗の度合いがひどく乗り越えきれない時に、児童や保護者に不
満があるのです。でも子供や生徒に抵抗のない、教育はないのでな
いかと思う。


 
 児童や保護者の理解や、信頼がないと本当の教育は出来無いと思
います。児童や生徒の好奇心を掻き立てて、やる気を起こさせ抵抗
を乗り越えさせるのです。未完であり私見もあります、若い時の教
育実践です問題点もあると思いますご批判を乞う・・・

 


                          













                                























         

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