日々、営業を重ねると
いわゆる「制作の悩み」で、
皆さん、色々と困っているんだなぁーと
ヒアリングする事があります。
広告代理店、写真館、フリーディレクターのお話を
まとめるとこんな具合である。。。
ケース 1
撮影という技術が、ブラックボックス化していて
お願い希望したクオリティーと予算が噛みあっていないような気がするし、
安かろう悪かろうとは思うけど、と言う意見。
>>私としては、そうなんですか? と申し上げるしかないけど、
要は当初の見積もり金額より、追加料金やオプション料金として
倍に跳ね上がることを、しっかりカメラマンが説明できず、
ずるずると現場に臨んでいるとのこと、そして、その割には
そのカメラマンが見せてくれた自身のサンプルやでもリールほど
美しく撮れていない。
このギャップはなんだろう。。。
技量もそうだけど、カメラマンのクライアントに対する
「愛」が接待的に不足しているんだと私は感じる。
まぁ、ヤバイ意味ので愛ではなく、
お互い完成へ向けて、切磋琢磨するという
厳しい意味での意見交換がなされないと、
なーなーな現場は良いことを生み出さない。
まぁ、カメラマンが強引なのはある意味困るけど、
技術を知らないということで、懇切丁寧に制作が、?と思っていることを
感じ取って上がる空気を読む力を発揮しながら、説明することも
必要だと思いますし、提案することも先延ばしせず
思ったら即、その場で話す必要があると思います。
先延ばしするから、後手になり、後手になると、
「あのとき、あー言った」「このとき、こーだった」って
記憶がお互い曖昧になり、意見の食い違いが出る。
食い違いが出ると制作サイドも不安になって、
不安になれば、人によってそれが怒りに変わる。
だから揉めるのである。
カメラマンはお見積もりの段階で、提示された予算に
出来る、出来ないを明確にししてその場で即答。
そして、希望する画を撮ることに対して
こんな機材、あんなアングルはいかがですかと
程よく提案する必要がある。
こんな時代だからこそ、明確にすべきである。
ケース 2
カメラマンとしての技量は認めるが、
個性を主張しすぎて、望んでいる画がない。
最近よくお聞きするケースです。
暴走すると言うか、ベクトルが合わない。。。
ビデオ、写真問わず、芸術性を求めない案件で
このような話をよくお聞きします。
いわゆる、「学校写真」を撮ることのできる
カメラマンの存在である。
学校写真、ピアノの発表会など、
「こんな撮影ば、バカでも撮れる」と言うカメラマンが多いけど
実際、そんなカメラマンは学校や会場に入ったときから
NGが出ることが多い。
つまり「謙虚さ」とまでは申しませんが「関係者に対して挨拶ができないのである」
嘘のような本当の話だが、本当だから仕方ない。
学校の先生も、ピアノの先生に対しても挨拶しないのである。
まぁ 馴れ馴れしいのも困るが、挨拶がないより良いと思う。
挨拶をしないということは、大抵、撮影に個性を出す。
すると、本来、定番で欲しい画がないのである。
いじめるつもりは毛頭ないが、学校にせよピアノにせよ
セオリーがあるので、個性より安定を求める業種なのである。
これを「簡単じゃん」に一言になるのは自分としても悲しいことである。
あげたらキリがないくらい。。。
他にも、なんだか知らないけど、現場に突然来なくて携帯もつながらない。
事故や急病かと心配したら、二日酔いで家で寝ていたとか、、、
そんな緊急の連絡を受けて対応する事も少なくない。。。
映像制作の拠り所として、日々、地味ではありますが
皆様のお役に立てるよう、自分自身、考えてカメラマンをしようと思うのである。
いわゆる「制作の悩み」で、
皆さん、色々と困っているんだなぁーと
ヒアリングする事があります。
広告代理店、写真館、フリーディレクターのお話を
まとめるとこんな具合である。。。
ケース 1
撮影という技術が、ブラックボックス化していて
お願い希望したクオリティーと予算が噛みあっていないような気がするし、
安かろう悪かろうとは思うけど、と言う意見。
>>私としては、そうなんですか? と申し上げるしかないけど、
要は当初の見積もり金額より、追加料金やオプション料金として
倍に跳ね上がることを、しっかりカメラマンが説明できず、
ずるずると現場に臨んでいるとのこと、そして、その割には
そのカメラマンが見せてくれた自身のサンプルやでもリールほど
美しく撮れていない。
このギャップはなんだろう。。。
技量もそうだけど、カメラマンのクライアントに対する
「愛」が接待的に不足しているんだと私は感じる。
まぁ、ヤバイ意味ので愛ではなく、
お互い完成へ向けて、切磋琢磨するという
厳しい意味での意見交換がなされないと、
なーなーな現場は良いことを生み出さない。
まぁ、カメラマンが強引なのはある意味困るけど、
技術を知らないということで、懇切丁寧に制作が、?と思っていることを
感じ取って上がる空気を読む力を発揮しながら、説明することも
必要だと思いますし、提案することも先延ばしせず
思ったら即、その場で話す必要があると思います。
先延ばしするから、後手になり、後手になると、
「あのとき、あー言った」「このとき、こーだった」って
記憶がお互い曖昧になり、意見の食い違いが出る。
食い違いが出ると制作サイドも不安になって、
不安になれば、人によってそれが怒りに変わる。
だから揉めるのである。
カメラマンはお見積もりの段階で、提示された予算に
出来る、出来ないを明確にししてその場で即答。
そして、希望する画を撮ることに対して
こんな機材、あんなアングルはいかがですかと
程よく提案する必要がある。
こんな時代だからこそ、明確にすべきである。
ケース 2
カメラマンとしての技量は認めるが、
個性を主張しすぎて、望んでいる画がない。
最近よくお聞きするケースです。
暴走すると言うか、ベクトルが合わない。。。
ビデオ、写真問わず、芸術性を求めない案件で
このような話をよくお聞きします。
いわゆる、「学校写真」を撮ることのできる
カメラマンの存在である。
学校写真、ピアノの発表会など、
「こんな撮影ば、バカでも撮れる」と言うカメラマンが多いけど
実際、そんなカメラマンは学校や会場に入ったときから
NGが出ることが多い。
つまり「謙虚さ」とまでは申しませんが「関係者に対して挨拶ができないのである」
嘘のような本当の話だが、本当だから仕方ない。
学校の先生も、ピアノの先生に対しても挨拶しないのである。
まぁ 馴れ馴れしいのも困るが、挨拶がないより良いと思う。
挨拶をしないということは、大抵、撮影に個性を出す。
すると、本来、定番で欲しい画がないのである。
いじめるつもりは毛頭ないが、学校にせよピアノにせよ
セオリーがあるので、個性より安定を求める業種なのである。
これを「簡単じゃん」に一言になるのは自分としても悲しいことである。
あげたらキリがないくらい。。。
他にも、なんだか知らないけど、現場に突然来なくて携帯もつながらない。
事故や急病かと心配したら、二日酔いで家で寝ていたとか、、、
そんな緊急の連絡を受けて対応する事も少なくない。。。
映像制作の拠り所として、日々、地味ではありますが
皆様のお役に立てるよう、自分自身、考えてカメラマンをしようと思うのである。