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海外のメディアから得た情報を書こうと思います。

水不足により、農民は無一文に シリア2007年-2010年

2016-12-30 11:48:37 | シリア内戦

2000年代後半のシリアの干ばつ(水不足)はここ900年経験したことがないものだった。地球温暖化により、水没の危機にある島々はよく知られているが、シリアが経験した水不足の深刻さはあまり知られていない。人類の人工的な生活が引き起こした気候変動により、干ばつが起こる可能性は3倍になった。  

水不足は地中海沿岸地域全体の問題であるが、シリア・レバノン・ヨルダンが特に顕著である。

1万2000年前に農耕と遊牧が始まった肥沃な地域が、砂漠になろうとしている。

シリアでは2007年ー2010年の干ばつにより、北東部の農民と遊牧民150万が土地を捨て、食べ物と職を求めて都市に移住した。このことが社会の不安定にし、2011年の民主化運動を破局的なものにした。政府は水の節約を勧めるだけであり、根本的な対策を行わなかった。都市に逃れた農民・遊牧民に対する支援も不十分だった。干ばつ対策がなされず、150万の農民が難民となっている時、民主化運動が起きることは危険だった。崖の淵に立っていた人間が一突きで谷底に落とされたようだった。 

アサド大統領自身は干ばつ問題に真剣に取り組もうとしたようだが、実際にどれを実行すべき政府の対策は不十分だった。大統領の言葉を信じれば、飢えの危機に直面した農民を救済したようだが、移住農民の多くは都市の郊外でスラムを形成した。

=======《ニューヨーク・タイムズ 3010年10月30日》=======

Refugees have left their farmlands and are living in tents in Al Raqqa, Syria, because of a drought :by  Julien Goldstein

昔からの用水路は干上がり、地下水も枯渇して、農地は割れた地面や砂漠となった。放牧している動物が死に、数百の村が打ち捨てられた。砂嵐が日常化した。

都市の周辺には、すべての財産を失った農民とその家族のテント村が出現した。

「この地域は干ばつは珍しいことではない。しかしこれまでと程度が違う。気候変動は実感されるほどであり、気温が非常に高く、雨が降らない」。ニューハンプシャー大学のジャニー・サワーズが語る。「その結果住民の移動が起きているが、政府は準備する時間もなく、対応ができていない」。

シリア政府は問題の大きさを認め、国家的な「干ばつ対策計画」を決定したが、まだ実行されていない。仮に実施されたとしても、成功しないだろう。干ばつは20年前から始まっており、その間政府は対策に取り組んできたが、すべて失敗した。

1988年ー2000年の12年間に、政府は灌漑のために150億ドルを費やしたが、計画に欠陥があり、ほとんど成果がなかった。(シリア生まれの作家エリー・エルハジの話)

シリアでは水不足にもかかわらず、綿と小麦を栽培を続けており、危ない橋を渡っている。小麦栽培はシリアの伝統的な産業であり、穀物生産は自国の自立を保証する、と政府は考えている。

シリアとイラクのいたるところで違法な井戸が掘られ、地下水は急速に減少している。シリア政府は地下水を調査しておらず、劇的な水不足を予防しようと考えていない。

アラブの多くの国と同様、汚職と無能な政府が深刻な水不足を放置しており、状況を悪化させている。

ダマスカスの経済評論家ナビル・スッカーが言う。「特権階級が法を守らず、彼らは何の規制も受けない」。

===============(ニューヨーク・タイムズ終了) 

 

=======《Drought driving farmers to the cities》========

            IRIN News 2009年9月2日

 数年間の不作の後、2年連続で干ばつとなり、収穫がなかった。数千の農家が土地を捨て、職を求めて都市に移住した。

「状況は最悪だ。もはや農地ではない、砂漠だ」。赤十字・赤新月連盟の中東・北アフリカ災害対策連絡員のアブデル・アワドが言った。「このような環境での生活は不可能であり、農民に残された道は移住だ」。(国連干ばつ計画の報告)

干ばつの原因は一つではなく、3つの要因が重なった結果である。

①気候変動

②農耕も含め人間の生活の影響による砂漠化

③農業用水の不足

シリアの農地の60%と130万人が干ばつの影響を受け、80万人は土地を捨てざるを得なかった。(国連と赤十字・赤新月社の報告)

しかし土地を捨て移住した農民の正確な人数はわからなない。シリア農業・農地改革省の調査によれば、4万ー6万家族が村を去った。その中の3万5千家族はハサカ県の農家である。しかし現実には、もっと多くの家族が村を去っている。

国連の干ばつ対策計画によれば、すでに多数の農民が去った後も、再び流出が始まっている。

故郷を捨てた農民たちは、ダマスカス、アレッポ、ホムスなどの大都市に向かった。

「農村からの人口流出は終わりがないので、正確な人数を把握することは困難である」と赤十字・赤新月連盟のアワドが言う。「NGOが村に行ってみると、誰もいない、ということがよくある」。

 

村には何一つなかった。7月ハッサン・ハミはカミシユリの小麦農家だったが、全財産を失い、家族と共にダマスカスの郊外に移ってきた。カミシユリはシリア北東部のトルコ国境に接しており、シリアの南西部にあるダマスカスからは最も遠い。その距離は650㎞である。

       

「農業をやめて、プラスチック売りをしていたが、満足な収入にはならなかった。生きるために借金をしなければならなかった。もうカミシユリでは生きていけなかった。ダマスカスは故郷ではないが、息子と彼の妻が働いているので、なんとか暮らせる。現在彼は家具のない小さなアパートに妻と息子夫婦、4人の孫と一緒に住んでいる。息子夫婦は近くの工場で交替勤務で働き、月に196ドル得ている。一階には別の家族が住んでいる。その家族も彼らのように干ばつのために故郷の村を捨ててきた。隣の建物にも同じように移住農民が住んでいる。

農民が移住してきた地区では社会問題が発生した。貧しさが原因の犯罪が増えたのである。

また学校に行かず働いている子供が急増した。(国連の7月の報告)

ユニセフの現地代表シェラザデ・ブアリアによれば農民が流入した地区では、学校で落ちこぼれる生徒が増えた。

=========================(IRIN News 終了)

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