樹間暮のきまぐれライフ

ゆったりと・・・残りの20年は過ごせそうにないけれど、きまぐれな日々の生活を少しだけでも記憶の底に残しておくきっかけに。

台北 郊外一人歩き

2015-06-07 16:59:48 | 日記
皆様を朝食にてお送りしたあとに
一人電車とバスで東の観光地へ

おっとその前に、市内の龍山寺(ロンシャンスイ)へ
ここは有名なパワースポット




道教の七つの神様が同居していらっしゃる
朝早くから信者の方々がお経を唱和
ありがたき音をシャワーのごとく浴びて始まる1日





まずは、九分へ
ここは宮崎駿監督「千と千尋の神隠し」の舞台の元となった街


ここへたどり着くには、バスの方向を間違えて
その上、車内アナウンスはないし山の方へどんどん走っていくし
一種のスペクタクルだった。
間違いと気づきあわててブザーを押して降りたところは
すすけた小さな町?お財布をみると小銭がない!
台湾のバスはほとんど一律15TWDで乗れるのだけど
車内ではお釣りは出ない。はてさて、困った・・・と
小さなおばあさんがすわっている商店をみつけ入る。
売っているものはピーナッツだけ。それも大袋・・・
ひとつ持ち上げるとおばあさんは手をぱっとひろげた。
たぶん5元、という意味だろうと。お札を出したら
ちゃんと思った通りにお釣りが戻ってきた。
ついでにビニールの袋も渡されて、道路の反対側で待つこと20分
さっき乗ったバスと同じ番号のバスが超スピードで走ってきた。
それに乗り込み、今度はまたどこで降りるのか・・・
回りを見ながら、バス停を読みながら、目的のバス停の字が見えた
とたんにブザーを押したら、中国語で文句を言われたけど、
バス停ドンピシャの場所で下ろしてもらえた。

そうそう、此の時買ったピーナッツとても美味しい!
日本円にして200円弱。台湾ピーナッツおすすめです。
ただでは転ばぬ私?

小さな観光地のお店やさん街を首を左右にフリフリ歩く
        
           これは 烏龍茶漬けの茹で玉子

そう、ここでもお伝えできぬすごい臭い
臭豆腐の臭いがかすめるどころではなく満載だったが、
段々鼻も慣れてくる。
たぶん、あの臭いはクサイヤの臭いと共通点があると、ふむ

          
       ちょっとおなかがすいたのでおしるこのようなおやつ

               
                ここは昔炭鉱の町

次はまたバスと電車を乗り継いで 十扮 へ


1時間に2本の電車
その間はみな自由に線路を歩く
その間で願いを書いた気球を揚げるというのが
何故か売りの町







色々な風習があるもので。
でも、あの気球、いったいどこに落ちるんだろうか
だれかが拾いにいくはずもなく、ごみと化するのか
ちょっと心配になる、と大きなお世話のおばさんは考えてしまう。

ここらか10分ほどあるくとジャングルのような木々を潜り抜け
台湾のナイアガラの滝に到達




暫しの涼を味わう

町のあちこちにこのような道教の教えを書いた
紙が張られている




今夜は一人 台北の市場へ



大勢の仲間と賑やかに食べている食堂にははいれないので
こういったお総菜やさんやお弁当やさんを覗き
手振り身ぶりで好きな惣菜を詰め込んでもらい
お弁当を作ってもらった
途中で思わず寄ってしまった餃子を焼いている露天で餃子も買い込んで
う~んビールによく合う!!



翌日飛行機に乗る前に
台湾へ来たら決してはずせない 故宮博物館へ朝一に飛び込む








朝一は大正解!
有名な白菜のガラス工芸や豚の角煮の石はするスルッと見学でき
その他、みたかったものはちゃんと見学でき記憶に残した。

珍しく駆け足の旅だったけど
たまにはこんなのも頭を鍛えるのにいいかもしれない。




台南の旅

2015-06-07 16:40:57 | 日記


テニスチームの皆さんは
金沢(小松空港)から直接飛んでいらした。
エバー航空が日に1往復就航しているらしい。
東京から、関西からも集まり 総勢16名
80才を越えた会長さんを筆頭に皆さんとてもお元気!
よく歩き、よく食べ、よく笑う笑う。
そして色々なことに興味津々、和気あいあい

台南へ行ったついでに
左栄蓮池潭(ズオインリエンチイタン)へ足を伸ばす


龍虎搭 
龍の口から入り虎の口から出ると善人になる


その搭の前には道教のお寺



お寺の前の屋台で
美味しい果物を値切って?買い
汗をかいた喉を潤す

帰りの新幹線まで時間があったので 愛河で遊覧船に乗ったのだが
これには閉口というか鼻を押さえるしかなかった。
水がきれいになりここはデートコースだと
アナウンスされていたが、いやいや・・・
河は臭い



河の臭いをお伝えできないのはblogのいいところか!


台湾観光

2015-06-07 15:55:53 | 日記


台湾台北、松山空港におりたった瞬間
独特な香りが鼻をかすめむっとした暑さに汗をかく
湿度90%、紫外線は日本の5倍
緯度は石垣島とほぼ一緒

今回の旅は
金沢のテニスチームの春合宿の一貫
私は平日休みをそんなに取れないので、
途中参加+後半1泊居残りで旅をした。


台湾は完全に熱帯地方に部類するはず

             
             町中の公衆電話、缶ジュース販売機



台北町中にある 中正記念堂


その横にある音楽堂(コンサートホール)



すべてが広々としていてどでかい。

         

                 

公園で憩う人々の表情は本土よりずっと柔和で穏やか
気候のなせる技か民族の違いか。

            
              台北の鉄道(国鉄と地下鉄・MRTの中心駅)
              台湾の東京駅のような駅

                    

バスや電車が便利に走っている。

市内の信号は
横断者のための残り時間が表示され
下には歩いている人の表示があるのだが、
残り時間が少なくなると、彼だか彼女だかが走り出す
とても分かりやすい。
これは、片側4車線もある広い道路だから必要から生じた産物だろう。



夜は士林(シーリン)のナイトマーケットにくりだしてみる。




これはマスクやさん


食べ物やも洋服屋もアクセサリーもなんでも商店街
老若男女がおしゃべりしながら少し涼しくなった夜を
そぞろ歩く。活気があるなあ~

電車に乗ると、サーファーっぽい格好をした現代風若者でも
年上の人にさっと席を譲る。私も肩をたたかれ譲られたが、
そんな年になったのかと思いきや、儒教の教えで目上の人に
対する態度の様子。お断りしても、別の方に回りが声をかけ
譲った人の面子をたてる。そんな優しい国、台湾











烏山頭水庫(うさんとうダム)

2015-06-07 10:22:29 | 日記


5月の連休後
一度訪ねてみたかった 台湾台南に位置する
烏山頭ダムへチャンスがあったので訪問した。

台北から新幹線で1時間半、そこからバスで1時間弱
八田興一記念公園に着く




八田興一
彼は台湾史上もっとも有名な日本人で石川県出身
そう!知る人ぞ知る郷土の偉人

戦前1920年に八田興一は台湾嘉南に渡り灌漑事業を行い
不毛の地であった場所を麦・米・畑の三毛作を可能とさせた。

戦前のあの時代
空からの測量等考えられない時代にどうやって
この広い広い山を含めた水系を探り当て
水をダムへ引いてきたのか。

実用に耐えうるものを造り初めて世に貢献できる
という大学時代の教えを生涯実践してきた人である。



彼の妻は16才年下の同郷人
8人の子供たちに恵まれ、台湾で共に気丈に暮らしていたが
八田興一が戦争の激化に伴いフィリピンへ赴く途中船上で命を
落したのを悲しみ、彼が心血を注いだダムへ身を投げたという。
(地球の歩き方より一部抜粋)

戦前の台湾で16才の少女が生活を始めるその気丈さ
八田興一がすべてであっただろう青春時代
彼が命を落としたとわかったあと、性格がガラッとかわり
暗い人となったいう。精神的拠り所を失い後を追ってしまった心境
その時彼女は34才位

ダムが見える丘に八田興一の銅像


毎年八田技師夫妻墓前祭が行われているようだが
平成25年には子供を抱えて夫の帰りを待つ姿の奥さまの像が建立された。







自分達や日本人関係者以外の作業員たちも含めた
住宅も建て長期に渡る工事作業のために厚生施設を含めた
村を作ったと聞く


横に立っている人は奥さまの像を作成した彫刻家


実はこの彫刻家の方が金沢でのテニスチームのメンバーで
今回案内をかって出てくださった。
詳しい説明付きで見学できたのも彼のおかげ



謝謝!