生まれて初めて 生の第9の演奏会へ行く
今月にはいると年末行事のひとつとして
Beethoven Symphony No.9 Concert
があちこちで開催されているようだが、
天邪鬼な私は、クリスマスにクリスマスケーキ、
バレンタインデーにチョコレート的な
年末に第9というあまりにも商業的な感覚を受ける第9に興味は全くなかった。
あまりに高いチケットにその代償を満たしてくれないであろうコンサートに
行く気持ちにまったくなれなかったのである。
が、ひょんなことから今年知り合った勤務先の派遣社員さん(同い年の方)から
N響の第9のチケットを頂いた。それも協賛企業元からの招待席
冥土の土産の一つとして有難くお誘いを受けて
天邪鬼がNHKホールへ向かった。
年齢層が高い。N響のこのコンサート、12月に4回も開催される。
私にとっては「初めてのお使い」ならぬ「初めての第9」
1,2楽章は初めて聴いたのではないかな?
まったく印象に残らない、旋律のない音の羅列。
なんだか居心地が悪く感じる。
これは後から分かるが、
歓喜の歌への伏線。こういった楽章があるからこそ
最終楽章に喜びが爆発するのだ、と終わってから気づく
こんな時は、中段後半で目をつぶって両手を膝においている銀髪の団員が目を惹く
3楽章の穏やかな旋律にやっとこの楽団に心を許し
安らかな平和を音で感じる頃
最終楽章の始まりのあのメロディーが
コントラバスとチェロだけで奏でられる。
これは素晴らしい掛け合いだった
底から湧き上がってくる様な静かな音が折り重なる
「レチタティーヴォ」(語り)
これがあるからあの合唱が活きてくるのだ!
そう、コントラバスとチェロの「語り」にバリトンの人間の声が加わり
合唱へとつながれていく
An die Freude
国立音楽大学の200人ほどの混声合唱団の迫力に圧倒される
声の圧力は楽器の音に勝る。
若いエネルギーと素晴らしく律されたハーモニー
人間の声の安堵感が この第9を年末にふさわしいものにしているのではないだろうか。
じっと我慢し続けていた銀髪の団員も最後の満開な音に参加していた with ピッコロ
O Freunde, nicht diese Tone!
Sondern LaBt uns angenehmere
anstimmen und freudenvollere!