茨城県ねこたま市の『いのり動物病院』(仮名)にて。
地方にときたまいる医者(この動物病院に限らない)
世間で『常識』と言われている正義を御旗に
患者に
とくに気の弱そうな人間と見るや
高圧的な物言いで
「ある意味、アナタがこの猫ちゃん(わんちゃん)の加害者なんですよ」
と徹底的に叱り飛ばす。
ただでさえ気持ちが沈んでいる患者の心の傷口に
辛子を塗りこめようとする。
罪悪感を植え付け委縮させる。
その一方
合間合間に
こういうオプションの施術があると紹介する。
「いいですね。この猫ちゃんにしますが。いいですよね」
アナタは罪びとだ。
その罪を軽減する以外に
今あなたがこの猫ちゃんに対して
施してあげることはないじゃないのよ。
と、さらにマウントとりたがり屋の医者は
高圧さに拍車をかけて
たたみこみ念を押す。
バブル時代の『仕事の鬼』と称する経営者のような
(決まって従業員を叩いたり叱り飛ばしたりするシーンをテレビは流す。
当時は仕事に厳しいカリスマ経営者と、肯定的に、もてはやしたものだった。
今はパワハラだが)
なんのことはない。
結局のところ猫のためとは称しているが
オプション施術をさせてガッポリ稼ぎたいんじゃないのか。
一番頭に来たのは
「君みたいな野良猫に餌をやる人間が
一番始末に悪い。多頭数飼育崩壊の典型だ」
と述べる。
あのさ。
さすがに
何十匹何百匹になる前に
前述のブログにも書いたように
犬猫里親募集法人に連絡しますよ。
実際
10月20日の不妊手術日に
親猫の不妊手術と子猫の引き取りを
申し込むつもりでいた。
そんな矢先の事故である。
私は医者の顔を見ながら心の中で呟いた。
私がエサをやったから
猫が増えたんじゃなく
ピンクの首輪をしたキジトラ猫が
若ママ猫や白黒猫に
交尾をしたから
猫が増えたんです。
アナタのこれまでの主張からすると
まず叱り飛ばすべきは
そのキジトラ猫を外に出していた飼い主じゃないですか。
でしょ。
自己弁護をして申し訳ないのですが
そのシーンを想像でもいいから
思い浮かべてください。
これから述べるシーンです。
あの日。
カーテンを開けば、ポツポツと音がする
2021年11月23日の
肌寒い雨の日。
サッシを開くと
犬小屋の上に
白黒ママ猫と当時は幼い若ママ猫、その兄弟が
お腹を空かせて
悲しげにコチラを見て
泣く姿を見て
餌をあげることが
そんなにいけないことなんでしょうか。
餌をあげれば野良猫数が減る
ちょっと待ってよ
これって
要するに
「餌をやらなければ」
「今生きている野良猫が餓死させて」
その結果として
野良猫を減らすことができる
と言いたいわけ?
野良猫餌やり反対派は
そこのところをはっきり言いたくない。
言いたくないけど
実はそういうふうに思っているってことでしょ。
平たく言えば。
私は
将来の人と動物の在り方、かかわり方
とか
猫の幸せとは?
今後の人間社会における動物との共生
などという
大風呂敷を広げた抽象的な
原則論哲学論
お題目なんて正直知ったこっちゃないし
また
ワタシごとき馬の骨野郎が
かかわれる立場でもない。
私はただ
あの日。
まさに目の前にいる
気の毒な猫たちに
お腹いっぱいになって
身も心も温かくなってほしいと思っただけなのである。
むろん
「小さな命を大切にする朴訥なヒト」
などと朴訥なヒトぶる気持ちは毛頭ない。
かといって
この
動物病院の医師が
私の人格をも破壊するような勢いで叱り飛ばす言葉のつぶて
「アナタが野良猫たちを不幸にする最悪の
張本人」
「アナタの行為は動物虐待そのもの」
「アナタがエサをやったからこの猫が事故にあった」
「君のような奴が諸悪の根源なのだ」
などと罵倒されて
「まったくさようでございます」
と首を垂れて認める気持ちもないのである。
では
『動物愛護の最後の番人』とでも自称したいらしい
この医師に尋ねるけども
現実に
現実にですよ
もしアナタが
『2021年11月23日の私』と
全く同じ場面に遭遇しました。
エサをやったのか
それとも
エサをやらずに知らんぷりをしたのか。
どちらなんでしょう?
微妙に質問と違う答えをしたりして
はぐらかしたりしないでほしい。
エサをやったか、知らんぷりか
必ずどちらかの答えでお願いしたい。
繰り返すようだが
私は
今そこにある危機
ならぬ
今そこにいる猫のために
自分にできる範囲ことをしただけにすぎない。
追伸。私だけでなく、灼熱の真夏の日も、酷寒の冬の日も
一日中リードを付けて外で飼うここらの地元の人
ただお金儲けのために犬猫を量産し
余ったら生ごみ同然の扱いをする悪徳ペット業者
らにも
厳しい目、舌鋒鋭い発言をしてほしいものだ。
たとえ、その相手が私と違って
コワモテであっても。