万葉の森公園はウィークデーとあって来訪者が少なく、広い駐車場に車は6・7台ばかり。それも園入口の休み処「伎倍(きべ)の茶屋」に勤務するボランティアさんたちの車をも含む。
この時季、園内にはあまり草花は咲いていない。シランぐらいだろうか?
木の花ヤマボウシが盛りだった。
姿佳く箒状に枝を伸ばしたケヤキ5・6本が、芝地を取り囲んでいる広場に、無数の白いセッカニワゼキショウが、小さな花を空を向け咲いていた。
別の芝地に咲く薄い赤紫色を帯びたニワゼキショウを妻が見つけてくれた。
いつもながら草花には目聡い。老生は近眼のハンディが付いて廻り、車の運転をやめて5年にもなる。その前に好きな登山も諦めた。山野草を見つける能力では、いつも妻に遅れをとっている。
この花を見ると、老生は中学2年の時に亡くなった祖母を想い出す。母の代わりに心血を注ぎ養育してくれた明治の人である。
学校に入る前だろうか?あるときお寺の境内一面に咲いていたニワゼキショウを、祖母と摘んだことを今でも憶えている。
それを私から聴いて知っているので、妻は何処に行ってもニワゼキショウを見つけると真っ先に教えてくれる。
本人にはフジ棚に父親を想うよすががあって、この園のこじんまりしたフジ棚の花が、格別気に入っているらしい。
公園内の散策に飽き、休み処の「伎倍の茶屋」に立ち寄った。
甘酒・お汁粉・ソフトクリーム、甘味が揃っているのは、歩いた後に嬉しい。フワフワの厚い油揚げが乗ったうどんがおいしい。
万葉の頃は、この辺り一帯を「伎倍(きべ)」と呼んでいたようだ。
万葉集の相聞歌に、この地の人の歌がある(巻14-3353作者不詳)。
麁玉(※1)の 伎倍(※2)の林に 汝を立てて 行きかつましじ 寐(いね)を先立たね
※1麁玉(あらたま):遠州地方の郡名
※2伎倍(きべ):麁玉郡内の郷名
歌意は
「麁玉の伎倍の林にお前を待たせているがまだ行けそうにありません
先に寝ていてください」
というものらしい。
参考
万葉時代の中心地は大和明日香だが、東国と呼ばれ僻遠の地とされてきた此処遠江から、更に遠く常陸・下野・陸奥まで、その文化に浴した庶民の存在があった。その人々が歌に生活の痕跡をとどめている。万葉集は民族の誇りだと思う。
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