道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

「天竜川源流」考

2024年08月18日 | 人文考察
河川法という法律がある。この法律では河川は「公共の水流及び水面」と定義されている。水流は河川水面湖沼である。

水源から河口に至るまでの、本川や支川のまとまりを、河川法では水系というらしい。水系に一級(国管理)・二級(都道府県管理)の別があり、一級水系内の河川は全て一級河川であり、二級水系内の河川は全て二級河川で、同じ水系で一級と二級の河川が混在することはない。
琵琶湖は淀川水系の一級河川淀川の一部であり、浜名湖は都田川水系の二級河川都田川の一部である。つまり、湖の名はあっても、河川法上は川の一部である。

遠州人・信州人に馴染みの深い天竜川の水源は、一般的には諏訪湖とされている。岡谷市の釜口水門が諏訪湖と天竜川の境と、歴史的にも常識的にも認定されている。しかし、諏訪湖に流入する小河川は多数あり、河川法上では諏訪湖も天竜川の一部である。流入小河川の内の、天竜川河口から最も距離の遠い河川の源流部こそ、天竜川の水源と言えるのではないか。

和田峠(1531m)に端を発し、下諏訪町地内で諏訪湖に注ぐ一級河川に「砥川(とがわ)」という川がある。川底の石に黒曜石が混じる川である。その砥川の枝沢のひとつ、和田峠の南斜面を下る砥沢の源流部を、天竜川の水源と見なしたい。
ビーナスライン南面のクマザサに覆われた斜面の、小沢に発した一滴が、遠く天竜川の河口に達するのはどのくらりこむ時間がかかるだろう。距離250km、流速毎秒1mとすると、69時間、3日足らずで水源の水は遠州灘の海水に混じり混む。

和田峠は分水界で、北面は一級信濃川水系、長野県内の河川名は「千曲川」である。
和田峠によって、天竜川水系と信濃川水系が分かたれているなら、縄文時代に盛んだった黒曜石の流通は、特別困難なことではなかったと思う。太平洋岸から天竜川を、日本海側から信濃川(千曲川)を、丸木舟で遡れば、黒曜石の生産地の和田峠直下に辿り着くことは比較的容易だったのではないか。川上りでは時に綱で引いたり、舟を乗員全員で抱え上げる苦業もあるが、流れに乗る下りは、陸路の歩行の比ではない。貴重な物資を運ぶには、最も安全な輸送法である。
動力のない時代、陸路と水路とでは、輸送の量と労役の効率は段違いだったと思う。縄文時代の黒曜石と海産物の交易は、水系を利用することで、広く繁衍していたと思う。

天竜川の水源を和田峠直下の砥沢と特定することの妥当性は別にして、この国の新石器時代の人々が、水系を利用して移動し、交流・交易していた事実は揺るがないだろう。
魚・鳥獣・木の実、山菜など、食物を旅の途上で任意に調達できる、狩猟採集生活の縄文人ならではの移動能力の高さとその日常性を、もっと評価してもよいのではないかと思う。
各地に復元され、観光の目玉になっている縄文集落を観るだけでは見えてこない、縄文人の遠隔地への移動性の高さは、その後の弥生人とは較べものにならなかったと思う。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 秋の先駆け | トップ | 分析癖 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿