道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

「改革」の胡散臭さ

2024年09月13日 | 随想
与党総裁と野党代表の選出が近くなってきた。「改革」を声高に叫ぶ候補がいるが、彼らは実は政治理念をもたず、詳しく議員・党員に説明できる詰めた政策をもたないのではないかと案じている。
自他にわかりやすい、選挙民にアピールするから、改革を掲げるのである。彼らは、改革を錦の御旗に選挙戦を闘う。自らの政治思想と理念に裏打ちされた政策をもっていないことの証左である。改革を叫ぶ政治家に気をつけよう。

改革の前提には旧弊というものがある。旧弊はそれを好しとする人たち、守旧勢力によって、これまで支持されていたのである。これを圧倒するというのは、生やさしいことではない。自ら傷を負う覚悟で臨まなければならない。江戸期の三大改革が好例で、いづれも、幕府の強権をもってしても成功しなかった。それでも敢えて改革を掲げるのは、庶民(選挙民)の政治不信や不満に対する即効的な効果が期待できるからだろう。

改革には、緻密な現状分析周到な計画、更には改革を実行する強力で粘り強い実行組織が必要不可欠である。この3番目の要件を欠いては、どんな改革案でも空手形に終わる。
改革の実行には、守旧派との熾烈な闘いを伴う。だから誰もがその最前線には立ちたくはない。要するに、鶴の一声での改革など、成し遂げられるはずもないのである。

改革を実現するためには、強力で粘り強い実行組織が欠かせない。それが無ければ、進捗も成功もおぼつかない。
人というものは、慣れ親しんだ組織と習熟した方法がより都合好いものである。本音は変革を好まないものである。従って官僚組織は改革の実行組織にはなり得ない。勿論政治家に実行は担えない。いったい誰が実務を推し進めるのか?斯様に、改革を失敗に終わらせる要因はいくらでもある。
改革のラッパを吹くことは誰でもできるが、成功に導くのは、極めて困難である。それを知ってか知らずか、今の政治家は安易に改革を口にし過ぎる。

やってみなければわからないことを薔薇色に飾り立て、民心を誘惑する政治手法を信用してはならない。
現状の分析がきちんとできているなら、自分が権力の座に着いたら、着実に政策課題を、既存の組織の運用で解決していけるはずである。
統治というものは、現状を微修正しながら最善に近づけようとする地道な努力の積み重ねであると思う。大向こう受けを狙った、ドラスティックな改革など、成功するはずがない。

改革を叫ぶ人間を信じてはいけない。無能で無定見の刹那主義者が、庶民を改革の美名で惑わし、政権の座に着こうとする。ケレン味に富んだワンフレーズポリティクスは、もうたくさんである。

大船の針路を変える時は、当て舵で、少しづつ向きを変えるものである。大きく舵を切れば、船内の人は倒れ物は散乱する。
国政という大船の舵取りに、急な変針などできるはずもない。

知識と分析力と洞察力(予見性)そして実行力をもたない政治家が、どう改革を叫ぼうと、私たち国民は耳を貸してはいけない。
彼や彼女らは、意図的に対立軸をつくり改革を叫ぶ。だがスローガンだけでは、政治は1ミリも動かない。
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