道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

エスケープ

2014年02月20日 | 随想

誰でも高校時代の愉しい思い出のひとつに、授業のエスケープがあるだろう。授業中に教室を抜け出し、いったん校外に出て再び教室に戻る。どうということはないが、リフレッシュの効果があった。

これには、教師の個性と教室の立地との組み合せが重要で、それが出来る教科と全然出来ない教科とがあった。私の頃には、化学が最もエスケープするに都合の好い?教科だった。

化学の授業は、校舎一階・北東隅のガス栓と水栓、シンクのついたテーブルがある化学・生物用の教室で行われていた。教師は温厚かつ寛容な老翁で、不届きな生徒にも厳しい仕置きはしなかった。その先生が、滅多にいない教育者だったと知るのは、卒業して歳月が相当経ってからのことだった。

教師には、各HR寄せ集めの化学選択生徒に関する情報は名簿のほかになく、個々の生徒の顔など記憶していなかったと思う。教室からひとりふたりが居なくなっていても、全然気付かなかった。授業中の教師の目は、黒板と資料を往復してほとんど生徒を見ることはなかったから、代返の容易なこと他の課目の比ではなかった。

テーブルには同じHRの3人が着席していた。3人のうちのひとりは、軍人を志す真面目で実直な生徒だった。残るふたりは、隙あらば教室の窓の外に逃れ出て安逸を貪ろうと企む、教師からみれば不埒千万な生徒だった。教壇に向かって最後列にある自分たちの席の背後は窓で、外は正門に続くアプローチ沿いの植え込み、エスケープにはお誂え向きの席だった。

ふたりは、憂国の志高い同級生に、あろうことか教師の質問への応答と点呼の代返を頼み、教師の目が自分たちから外れた一瞬を逃さず、教室の窓から植え込みに脱兎の如く遁走した。

窓から脱出するのは、小、中学校では体験できなかったスリリングな行為だった。植え込みには、身を隠すに恰好の大樹が何本か屹立していた。太い樹幹を伝い、人目に触れることなく、易々と正門に達することができた。

我々は正門から校外に出て、校内と違う空気を心ゆくまで満喫した。外から眺める授業中の校舎は静まりかえり、不心得者を冷然と見下ろしていた。

程なく我々は、学校の周辺というものが、エスケープした生徒には極めて肩身の狭い場所であることに気付いた。街まではバスに乗らなくてはならず、90分の時限内に戻ることはできない。

仕方なしに、何ら成すこともなくすごすごと教室に戻った。代返を引き受けてくれた級友は、それを見透していたかのように、微笑で我々を迎えてくれた。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 早春の岬と島 | トップ | 馴染まない言葉 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿