先日の大雨で、春の足取りに弾みが
ついたようだ。家の前の小川では佐鳴湖から遡上する魚の影が濃くなり、道際にオオイヌノフグリやコオニタビラコの小さな草花を見るようになった。
6日は「啓蟄」にあたる日だった。二十四節季の各語は、日本人の生活感覚から生まれた言語ではないから、何度聞いても、それで季節を実感することができない。語感がないということだろう。「啓蟄」という、読みづらく耳障りの悪いこの言葉は、どう好意的に見ても日本の春の情感にそぐわないように思う。この文字を見て春を実感できる人は、相当漢籍に親しんだ人にちがいない。読みと意味の解説を必要とするような国語化していない言葉を、毎春銘記する意味は何だろう?
古代から幕末まで、日本人の教養・知識の大部分は中国の典籍に依拠してきた。人は自己の存在証明として教養を表に出したがるものだが、一方で謙譲の美徳ないしは韜晦というものも中国の文化から学んでいる。
それがため、往時この国の教養人は、アンビバレントな感情を抱えていたのかもしれない。現代の人々に、漢語の素養を衒う意識が潜在しているとしたら、それはそのような感情と無縁でないかもしれない。毎春その日の新聞のコラムの枕に、判で押したようにこの語が掲げられるのを見ると、あながち穿った見方とは言い切れないのではないか。
優越した文化を取り入れた側には、その文化の知識ばかりか生活習慣をも模倣したい心根、欲求が定着するという。文化の植民地性というべきもので、近代の欧米化もその好例だ。奈良・平安の昔ならいざ知らず、未だに「啓蟄」を早春のきまり文句として掲げ解説を加えるのは、その種の心情の名残りかもしれない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます