道々の枝折

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計画性と合理性

2020年12月19日 | 人文考察

計画性は合理性に拠って成り立つものである。合理性の裏づけがない計画というものは役に立たないばかりか有害ですらある。無計画のほうがまだマシだろう。

目下国内の人心を憂慮させているコロナ禍への一連の施策(計画と実行)には、この問題が潜在する。
現在進行中の個別的問題には触れることを控え、具体的な事例として、昭和の戦争の時代における作戦計画について考える。

軍隊の作戦計画というものは、兵士の生命がかかっているだけに、最も合理的でなければならないはずのものだ。ところが、英才で鳴る参謀たちがつくる作戦計画に、不合理や非合理が紛れ込むことは避けられなかった。合理性の根拠は、知識・観察・調査・検証が総合されたものでなければならない。

作戦計画のうち最も重要なものは兵站(logistic)であろう。兵站が調わなければ、作戦行動に移れない。日本軍は、この方面の研究が、近代戦に習熟した欧米の軍隊に劣っていた。

兵站は前線部隊の戦闘に支障がないよう、綿密でなければならない。いかに勇猛な将兵といえども、兵站が未整備で、武器・弾薬・糧食が滞っては敗北は免れない。作戦計画の主体は、兵站を基礎に策定されるべきものである。
兵站は弾薬・食糧などの数量の予測と駐屯地点及び補給線など位置の設定で成り立つ。ところが、兵站学の研究の歴史が短く、歴史的に国内戦の経験しかなく、維新後初めて近代戦を経験した日本軍は、上層部に兵站の重要性への理解が浅く疎かだった。作戦計画における兵站設定の甘さが、あらゆる作戦計画に隠れていたであろうことは想像するに難くない。

士気・戦力が同等の軍団同士の戦いの勝敗は、計画と実戦の両面で優越する側が勝つ。敗北は、負けた側の作戦計画が合理性を欠いていたか、戦闘指揮が拙劣だったかのどちらかが原因である
計画と現実は本来乖離を避けられないものである。それを補うものは前線の部隊長の的確な現状認識とそれに基づく用兵指揮である。

ところがエリートいうものは、内心自分が一番偉いと思っているもので、他人の補完など必要ないと思う参謀は、自分の計画に固執する。そうなると、計画が現実の足を引っ張る異状事態に陥る。前線の指揮官が、現実に即応し作戦本部の計画を修正補完して作戦指揮することを、参謀本部の少壮参謀が妨げる事態が、前の戦争では度々発生した。lineとstaffの職務と権限の厳密な分掌を理解しないままに成長した日本軍の、建軍以来の組織的欠陥である。

計画を軽視する前線指揮官もいたが、戦況を理解しない参謀も多かったということだろう。陸軍大学・海軍兵学校出身の秀才エリートが、知らず知らずに増上慢に陥る可能性は、旧軍の組織においては極めて高かったと見てよいだろう。

作戦計画の策定段階で合理性を欠く素案は極力排除されるべきだが、階級社会である軍隊では、上長や学校卒業年次の序列による不合理な認識・判断が計画の首尾を狂わせた。計画が実行された後の作戦中には、作戦計画と実戦に齟齬が生じるのは当然で、それを補完してより有利に部隊を運用するのが前線の部隊長である。
実戦においては、部隊長の指揮・命令に不合理が発生することも戦闘の常であるが、事前に参謀スタッフが十分に時間をかけて検討できる作戦計画には、些かも不合理や非合理が紛れ込んではならない。

しかし歴史に遺る過去の戦争の敗因の検証では、それが枚挙に遑なく認められる。作戦計画に不合理や非合理が稀に入り込むのは避けられないが、日本軍ではそれが恒常化していた。前の戦争で日本軍が実行した「インパール作戦」と「大陸痛打作戦」などが、その最悪の実例だろう。

両作戦とも、惨憺たる敗北を蒙った理由は明らかで、作戦計画に無知と不合理が紛れ込んでいた。それは今日では検証されつくしている。当時の日本軍の参謀本部の作戦計画では、誤謬が絶無という無謬神話が、罷り通っていたのである。

俊才揃いの作戦参謀といえども無謬ではない。だから作戦計画は参謀たちの合議をもって策定され決定されるべきものである。合議を尽くしても計画に誤算が生じているのは、不合理と非合理を完全に排除できていないからである。

そもそも作戦計画に誤りはないものという考え方が不合理である。それは倨傲であって、その信仰がいったん参謀達に共有されると、もうブレーキは効かない。
参謀たちには、階級ばかりか、陸大・陸士・海兵第何期という、年功序列が厳然とひかえている。これは日本に限られる現象だろう。それが発言に微妙に影響する。いかなる合議も、権威ある者と声の大きい者の個人的意思に左右されることは避けられない。特に日本人は、長い物・大きい声に支配され易い。合理性が影を潜める瞬間である。

誤謬のあるのが当然の計画を、絶対のものとして実行させようとする不合理は、日本軍の作戦に付き纏っていた。敗戦後の私たちは、父祖たちの轍を踏まないよう変革してきただろうか?民族の気風は連続している。旧軍の体質が自衛隊に遺伝しないはずがない。

政治は政策の積み重ねである。政策は計画と実行のサイクルという点で、作戦計画や経営計画と変わらない。
合理性を欠く政策は、無用であるばかりか有害なものである。政策は国会での合理性の検証が絶対に欠かせない。
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