道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

go to のまやかし

2020年12月19日 | 人文考察
「経済を回す」という大義名分を声高に語られると、物分かりが良く大きな声に弱い我々日本国民は、そのようなものかと、手もなく長いものに巻かれてしまう。

テレビのワイドショーでコメンテーターが「コロナも大事だが経済も回さなくては・・」と受け売りを語ると、善良で従順な大方の人たちはGoToに意義を感じてしまうようだ。GoToをしないと、経済が回らないように錯覚する。

たしかに、コロナ禍の直撃を受けている旅行・飲食業界にとって、GoToは心強い施策だったことだろう。
だが経済は、本当にコロナで回らなくなったのか?と言うと、大局的に見ればそんなことはあろうはずがない。

もともと経済は自律的なもので、滅多なことでは回転を止めない。GDPの大半を占める基幹産業は、我々の目に見えないところで、コロナ禍以前と変わりなく業績を維持している。卸小売業・流通業なども、逆風にあるものの事業を保っている。IT産業・医療産業の中には、フル操業の業種もある。しかしテレビは、もっぱら苦境にある旅館・ホテルや飲食店にインタビューを集中し、売り上げの落ち込みを茶の間に伝え、経済(消費)の落ち込みを強調する。政権の意向なのかメディアの自発的政策支援のつもりなのか?

旅行・飲食業の国民総生産(GDP)に占める割合は約5%ほどだろうか?つまり生産の規模と波及効果の大きい経済の牽引車・原動力の産業で無いことは間違っていないだろう。GoToは「経済を回す」と大上段に振りかぶるようなものではない。政策で景気をコントロールできた時代は過去のものである。

世界経済の規模拡大と資本移動の迅速化が、当局の小手先の政策の効力を相対的に弱めるようになって久しい。経済はコロナ禍の真最中でも、総体では力強く回るものである。自由主義と資本主義の下で、経済活動の回転を停止させるようなものはただひとつ、戦争しか無い。

「経済を回す」という表現は、大仰で不適切であると思う。旅行・飲食産業を、政府が「直接に支援・救済する」と堂々と言えば良いのではないか。間接的な支援であるGoToの必然性は今もってわからない。施策を軽佻なカタカナ語にした意図が胡散臭い。

そもそもコロナか?経済か?と二項対立させることが、論理的におかしい。二者択一する対象ではない。どちらも必要である。次元の違う分野の問題は、それぞれに適切な対策で切り抜けるしかない。

旅行・飲食業に対するコロナウイルスの衝撃は激しく、消費の落ち込みも大きいが、それに対しては、政府が直接の救済策を講じるべきだった。国民を感染の危険に晒すGoToのような間接的支援策しかなかったのか?GoToを最善策であるかのようにキャンペーンを打ち上げたところに、問題の根がある。


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