道々の枝折

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台風19号接近

2019年10月11日 | 人文考察
大型で非常に強い台風19号が接近中だ。気象庁が最大級の警戒を呼びかけていると、テレビは伝える。

74年前の米軍爆撃機B29の無差別爆撃の空襲を知っている戦争体験世代には、いつも台風の来襲と空襲が意識の上では同じものに感じられる。

B29爆撃機群は太平洋の島から洋上を渡って本土に侵入した。コースが台風のそれに似ている。その破壊力の猛威からわが身を守る術はなく、市民はただ、NHKラジオの警戒報道とサイレンの空襲警報とによって防空壕に退避し、息をひそめて敵機が去るのを待つしかなかった。

今も台風に対する私たちの対応は、空襲当時と変わらない。市民は避難して身を守るしかない。その行動や判断の基礎になる予報の精度は上がっているかというと、そうとばかりは言えないようだ。

空襲当時の軍管区司令部とは比較にならないほど観測機器が発達し、情報処理技術が進歩している割には、気象台の台風予報精度が高くなったとは思えない。近畿、東海、関東などの地域分類では予報範囲が大掴み過ぎる。本当は、予報の蓋然性よりも、台風上陸後の、時々刻々の位置・速度・風速・雨量・進路を、きめ細かく各自治体に伝える方が大切ではないか?

気象庁の台風予想は、予報時点から先になるほど中心位置の確率70%予報円は大きくなる。それは正しい予報なのだが、あの絵面は一般人に、台風が列島に近づくほど巨大化するような錯覚を与える。精度を高めるか、確率を低めれば、予報円はもっと小さくできるはずだが・・・

米軍(JTWC)の台風予報は、気象庁のそれほどには中心予報円が変化しない。予報初期と後期の予報円に大きな差異がない。この違いはどこから来るのだろう?

たぶん日本人は予報の正確性にこだわるから予報円が大きくなり、アメリカ人は時々刻々事態が変化するものに予報の正確性など意味はなく、現況を確実に把握することの方に重きをおくからではないか。要は現実主義なのだ。太平洋戦争での、作戦計画に固執する日本軍と、柔軟に戦況に対応する米軍との違いを、今再び見る思いがする。この日米の気質の違いが、戦後も常に我が方の敗因を招いてきた。

それにつけても、今回の19号の進路情報が次第に米軍予報に近づき、10日にはほぼ一致していたのには驚いた。気象庁は15号台風で、予報の自信と主体性を失ったのではないだろうか?

数年前に台風が当地に上陸したとき、その地点が当市か豊橋か、情報がブレたことがあった。私は刻々変わる気圧をチェックし、最低気圧の時刻と台風の速度から豊橋が上陸地点であるはずは無いと確信していた。当地の海岸に近い農家が、軒並み屋根や温室を吹き飛ばされている真最中に、最も重要な台風の中心を見失う失態が、実際に発生したのだった。

台風が偏西風に押され、少しでも早く予想より東に変針することを祈るしかない。

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