「毒にも薬にもならない人間」と言う言葉がある。他に何の影響も及ぼさない人間ということである。
人には合性(相性)がある。誰に対しても薬になったり毒になる人はごく稀で、人というものは、ある人には毒になり、ある人には薬になるのが通例である。誰に対しても薬になろうというのは、誰の友達にもなろうという八方美人で、実際は誰の友達にもなれない。彼は毒にも薬にもならない人間の典型で、自らを信ずるに足りない人物であると表明しているも同じである。
なんの頼りにもならない、居ても居なくても良い存在とは、まことに虚な存在である。毒は毒なりに働きがある。毒も用い方によっては、体の役に立つ。
私は若い頃から山野草が好きで、観察も栽培も楽しんで来たが、ほとんどの種類に毒があるキンボウゲ科の植物に美しい花が多いことに、関心を抱いて来た。
毒があるから美しいのか?美しいから毒があるのか?詳しい因果関係は知らないが、美しい花や香りは授粉に関わる虫を寄せるため、毒は他の生き物に食べられないための自衛手段ということだろう。
キンボウゲの仲間で毒がないのはニリンソウぐらいだろうか。猛毒のヤマトリカブトは有名だが、若芽のときが山菜として美味なニリンソウと紛らわしいので、中毒が後を絶たない。考えようによっては、無毒のニリンソウの存在が、トリカブトの誤食中毒を招いているのだから、皮肉なものである。
「美しい花には毒がある」は好い教訓となるが、「毒があるから美しい」は間違いかどうか?そのような美しさも自然は許容しているように思う。いずれにせよ、自己保存のために備わっているものだから、何の作為もない極めて自然なものである。
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