近所に住む息子が、休日の散歩の途中に立ち寄った。2児の父である。
ちょうど夕食を始める時だったので、はからずも父子(おやこ)の飲み会となった。
同居の兄息子は惜しくも酒が一滴も飲めないので、来訪した弟息子と酒を酌み交わすのが私には嬉しいひととき。時勢のことは若い者に訊くのが一番だ。しかもこの息子は30代の頃、それまでビール・ワイン党だった私を、日本酒それも越後の酒に開眼させてくれた先達である。
久しぶりにわが子と会った(と云っても10日ほどぶり)妻は、普段私とふたりで居る時と打って変わり、嬉々として立ち働き瞬く間に息子の好みの肴を卓上に並べた。幾つになっても、母親にとってわが子というものは、顔を見るだけで嬉しいものだろう。
元他人のむさ苦しい老爺と、扱いが天地ほど違うのは理解できる。
以下は妻の内心の声・・・
①・・・何の因果でこの宿六の為にこれまで半世紀もの間、毎日3度の食事を調え、夕餉に酒肴を供えねばならなかったのか?母の手料理を懐かしんで食べてくれる息子たちと違い、小癪にもあれこれ料理に注文をつける身の程知らず。
当たり前のように図々しく料理を食べている姿を見ていると、無性に腹が立ち、つくづく愛想が尽きる・・・
②・・・出逢った時に、おとなしい好青年と見誤ったのが間違いだった。酒呑みで金遣いの粗い道楽者の本性を隠していた。魔がさしたとしか思えない。いや本人が魔物そのものだった・・・
③・・・3人の子とその婿や嫁・孫たち、皆は私を慕い大切にしてくれる。どうしてこの何の取り柄もないむさいジジイが、大きな顔をして身近にいるのか?行く末を考えると憂鬱になる。息子や娘、孫たちが顔を見せてくれるから何とか気が紛れ、我慢できているのだが・・・
以心伝心、夫婦も長く暮していると、相手の心裡が手にとるようにわかるようになる。そのとおりだから、夫として一言も反論の余地が無い。
母に疎まれている父を気遣ってか、娘がたまに顔を見せてくれる。娘の顔を見ると、私の厳めしい顔も、途端に緩むと皆に言われている。
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