てんちゃんのビックリ箱

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ランス美術館展  感想

2017-11-05 11:25:05 | 美術館・博物館 等
 フランスのランスは 20万人弱の町。奈良市の半分であり、むしろ宇治市ぐらい。
 パリから高速鉄道で約1時間の所にあり、かつて国王がここで即位したという歴史ある街で、街は小さいにも関わらず、世界遺産の建物、そして素晴らしい美術品がそろっている。またレオナルドフジタがここに礼拝堂を作り、夫婦で葬られている。そしてシャンパンの町として有名とのことである。

 そこにある美術館の展覧会を観にいった。
 
 題目:ランス美術館展
 惹句:「革命のドラマを目撃せよ」
     東京(損保ジャパン興和美術館)では「フランス絵画の宝庫」
 場所:名古屋市美術館
 期間:2017.10.07~12.03
 訪問日:10月28日

 この展覧会は、今年の前半から日本各地を巡回していて、この名古屋が最後。しかし3点の他の場所では展示されていない作品があるとのことだった。

 構成は、下記の通り。
 1.国王たちの時代           (17~18世紀)
 2.近代の幕開けを告げる革命の中から  (19世紀)
 3.モデルニテをめぐって        (19世紀末~20世紀初頭)
 4.フジタ、ランスの特別コレクション  (1930~1970年台)
  「平和の聖母礼拝堂」のための素描

 名古屋の 「革命・・」はかたよりすぎていて 東京やその他の「フランス絵画名品・・」が妥当。有名な作家のものがかなりそろっていた。ただしユニークな作品が多く、いろんな惹句もありうるかなと思った。
 ランス美術館のホームページを見ると確かに充実しているし、美術館の展示方法が素晴らしくて行ったみたいと思った。またフジタ作品が日本向けとして特別に多く持ってこられているが、ホームページでも特記して扱われており、大事にされていることを確認した。

1.国王たちの時代
 ルイ王朝の貴族や王女の、ロココの絵画が並んでいる。ベルサイユ等の華麗な王朝の雰囲気を伝えるもので、ここでは特に2の革命の話と結びつけて、ルイ家の女性たちを描いた絵が多かった。
 その典型例が、リエ=ルイ・ペラン=サルブルーのソフィ夫人の肖像。贅沢な調度に囲まれて、贅沢な服やアクセサリーの美しい女性が描かれている。それなりに性格は書かれているが、道具立ての華麗さに目が行ってしまう。


 それがほぼ女性のポートレートのみを扱うと、女性の美しさが溢れてくる。その代表例が、「ルイ15世の娘 アデライード夫人の肖像」
 飾り立てられた絵、そして純粋にその人の美しさのみを表そうとする絵があり、双方が役割に応じて描かれたのだろう。



2.近代の幕開けを告げる革命の中から
 ここでは、革命からナポレオンの時代への変遷の中で、貴族ではなく軍人や民衆、農家の人々や、風景を写実的に描いた作品が並ぶ。作家としては、ダビッド、ドラクロア、コロー、クールベ、ミレーたちである。
 ここで印象に残ったのは3点。
 まず、ナポレオンの戴冠式の作者となったダビッドの描いた「マラーの死」。革命時期はジャコバン党の旗頭のマラーの友人として、名を馳せていた。その友が暗殺されたシーンを英雄として残そうとして書かれた絵。死後すぐに一枚描かれたが、これは細部に文字の書き込み等でメッセージ性を加えた2枚目である。
 ミケランジェロの「ピエタ」のように垂れた手、また殺害された苦しみよりむしろ宗教的恍惚に近い眼差し、そして手に持ったメモやお風呂に書かれた文章などで、革命途上の死を聖なるものとして描こうとしている。そしてそれが成功し、他に政治宣伝用として数枚書かれているとのこと。


 2枚目は、ランデルの「タンジールのユダヤ人の女」。
 多分18世紀には、こういった人を絵画の対象にするのははばかられたろう。理知的な眼差し、意志の強い眉の横顔で愁いに沈んでいる。乳首が透けて見えるほどの薄い服でエロチシズムも漂っている。とてもイメージが広がっていってしまう。


 3枚目は、やや意外という意味でミレー。「男の肖像」
 これは絵というよりも、ミレーさんの活動。ミレーは今までは農民の中で、貧しく暮らしていたというイメージを持っていた。しかしこの展示会の説明では、人生の後半ではかなりの名士になっていて、ここに示すような肖像画を描いたりしてよい収入を得ていたとのこと。
 この絵自体は、対象の人を飾らず優しい眼でその人となりを描いている素敵な作品である。ただし、描いた人を勝手に美化せず、作品のみで評価しなければと思った。



3.モデルニテをめぐって
 印象派、そしてそれ以降の絵画の世界で、画家それぞれが新しさ現代性)を目指して格闘した。ここで展示されているのは、ゴーギャン、シスレー、ドニ、ラトゥール、ピサロ等である。ここではもっともアクセントのある3枚を紹介する。

 まず、ゴーギャン 「バラと彫像」
 私は花びらの描き方がセザンヌを越えているので、あっと思った。他にも形、色、配置がそれぞれユニークだけれども、バランスが取れていてとても面白い。特にブルーの使い方が本当に素敵である。なぜ心地よいのか 謎解きがいっぱい詰まっている。


 続いて ジュルグエニックス 「期待外れ」。
 この不機嫌な顔のお嬢さんの絵は、一見だけだよねとおもいつつ、ずっと気がひかれてしまう。面白い。だけどこれを見たら気になって仕事ができなくなるに違いない。素敵だけれども、私の標準的活動範囲には置いておきたくない絵。


 最後に ヨーゼフ・シマの「ロジェ・ジルベール・ルコント」
 この絵が今回の美術展でもっともショックな絵。シュールレアリズムが広がる一歩手前のもの。このルコントさんていう人は、自分がこのように描かれてどう思ったのだろう。
 私の解釈は、人間とは暗黒ではなく、混沌としたものに一応くっきりとした仮面をかぶっているというもの。でもこの暗い背景や形だけの胴体に、人の存在とはなにかを考えさせてくれる。



4.フジタ、ランスの特別コレクション
 1/4がフジタさんの展示であった。彼がエコールドパリの頃、およびそれ以降 その表現力とともに、スキャンダリストとして存在をアピールしてきたことがよく分かった。
 「マドンナ」 
 黒人のマドンナとはどう思うか。大騒ぎしたでしょうね。


 そして「授乳の聖母」 その辺のお姉さんが授乳をしているようであり、またとても肉感的である。そしてキリストが舌をだして舐めている。聖なる雰囲気はとても感じられない。
 セルフプロデュース力は流石である。


 そのフジタが、自分の7歳の像を描いている。 「フジタ 7歳」
 原日本人的でとてもリアル、そして暗い。子供の顔だけれども、大人のフジタの眼を持っている。自分の育った日本というものをどう思っていたのだろうか。
 その他にも 猫の絵や礼拝堂のための素描がたくさんあったが、それは省略。


5.追加作品
 追加作品が3点あった、そのうちで黒田清輝の師匠の ラファエル・コランの「青春」
 とても和らなタッチで、若さのすばらしさを表現している。そして徹底的な明るさが心地よい。黒田清輝も似たタッチだが、色づかいがだいぶ違う。このコランの技術を持って帰った黒田が、日本の光をどう見たかということを考えるうえで、とても興味が沸く絵だった。



<おわりに>
 この美術展はコンパクトだが、確かに王制の頃から20世紀初頭までのフランスの絵画の流れを見るうえでいい展示会だと思う。ただし印象派本流がごっそり抜けているのに注意。
 そして、特にシマ、ランデル、そしてコランの絵に出会うことができてよかった。 


 
コメント
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