展覧会名:特別展 鏑木清方
場所:名都美術館
期間:11月12日 - 12月15日(後期)
惹句:清くあれ、潔くあれ、うるはしくあれ
訪問日:11月26日
配偶者が合わせるよう指定して休みを取り、本来ならば紅葉狩りに行くところだった。しかし天候がさえないので、この展覧会に行った。結果としては非常に満足した。
鏑木清方は、ジャーナリストかつ人情本作家の父のもと神田に生まれ、小さいころから落語、歌舞伎などに親しんできた。浮世絵の先生に弟子入りし、認められ挿絵作家としてデビューした。特に泉鏡花に気に入られ、2人セットでの本を多く発刊した。
その後日本画家として作品を展覧会に出し美人画家として高名となるが、その後も挿絵作家としての活動を行った。樋口一葉にほれ込み、その作品の挿絵になるものを描いた。
第2次世界大戦の頃、意識高揚に協力せよとの要請があったが、だからこそ美人画を書いていくとの反骨精神を持っていた。戦後は肖像画が江戸情緒といった分野へもテーマを広げ、画家としての道を進めた三遊亭円朝の肖像画は、重要文化財になっている。
清方が浮世絵の残酷絵で有名な月岡芳年の孫弟子にあたるということ、落語家から画家の道を進められたというのは、ちょっと驚いた。彼は1878年(明治11年)生まれだが、江戸情緒の残る環境で育ったのだろうとおもった。
今回の展示はおおざっぱに下記となっている。リストを見ると前期に比べ個人蔵が多く、しめしめと思った。
・雑誌用作品、挿絵想定の作品
・美人画
・肖像画および江戸情緒の作品
・清方愛用の備品(湯呑、硯、墨、文鎮 等)
(1)挿絵等想定の作品、
清方が樋口一葉の「にごりえ」を想定した挿絵、そして雑誌「苦楽」の表紙となった作品が並んでいた。清方は会場に展示される芸術だけではなく、卓上芸術という机の上でじっくりと眺めてもらうタイプの芸術を提唱していたが、これらの作品は、それに対応した単行本くらいのサイズだった。
にごりえは15作品が並ぶが、1934年だからある程度の年齢で愛着を持って描かれたとのこと。
崩してたばこを吸うなど美人画のジャンルを外れているが、東京の下町の風情が出ている。
1枚目 主役。色街の女性。一人ほれ込んだ男を捨て、自分は他の男にほれ込んだ女性
2枚目 ほれ込んだ男へ酒を飲みながら、自分のことを話している。
3枚目 帰ろうとする男を引き留める
4枚目 前の男に殺される前の女性
(2)美人画
(1)の挿絵は物語の味を生かそうと書かれているが、この美人画の範疇ではこの展覧会の惹句に書かれている「清くあれ、潔くあれ、うるはしくあれ」を具現するような、女性の美を理想化している絵の作品が並んでいる。
姿を見て確かに浮世絵の美人画の流れで本当に美しいと思った。解説により、眼や口の描き方のわずかの違いによって感情をかき分けているとのことで、注意してみてなるほどと思った。
「嫁ぐ人」
明治20年 美人画に移ったばかりの頃。その頃の絵と浮世絵がまざっている。籠の鳥がぶら下がっているのも、未来を暗示しているようでご愛敬。
「たけくらべの美登里」
昭和15年 大家になってから。眼がすっきり、口元が可愛い。
「春宵怨」
戦後 昭和26年 とてもモダンな帯
(3) 肖像画および江戸情緒の作品
美人画のように理想を描くのではなく、実際の人の存在そのものを描こうとしたのか、周辺の人や徳川慶喜、そして彼が会うことはかなわなかった樋口一葉の肖像画がある。
彼は一葉の近親者と話し、彼女の使った道具等を調べて彼女の肖像画を描いている。貧しい中に凛とした佇まいの意志の強い女性が描かれている。
「慶喜恭順」 と 「樋口一葉」
また江戸風俗、子供に対する目が優しい。
「夏の武家屋敷」
真摯に継続して自分の美の表現を追求しつづけた人ということがわかる展示だった。前期も見ていればよかった。
また東京国立近代美術館でこの人の最高傑作と言われる「築地明石町」を展示しているので、行ってみたいと思った。(出張等では行くチャンスはない。しかし東京までの新幹線往復は、ウィーンフィルのコンサートよりは安い・・・・)
場所:名都美術館
期間:11月12日 - 12月15日(後期)
惹句:清くあれ、潔くあれ、うるはしくあれ
訪問日:11月26日
配偶者が合わせるよう指定して休みを取り、本来ならば紅葉狩りに行くところだった。しかし天候がさえないので、この展覧会に行った。結果としては非常に満足した。
鏑木清方は、ジャーナリストかつ人情本作家の父のもと神田に生まれ、小さいころから落語、歌舞伎などに親しんできた。浮世絵の先生に弟子入りし、認められ挿絵作家としてデビューした。特に泉鏡花に気に入られ、2人セットでの本を多く発刊した。
その後日本画家として作品を展覧会に出し美人画家として高名となるが、その後も挿絵作家としての活動を行った。樋口一葉にほれ込み、その作品の挿絵になるものを描いた。
第2次世界大戦の頃、意識高揚に協力せよとの要請があったが、だからこそ美人画を書いていくとの反骨精神を持っていた。戦後は肖像画が江戸情緒といった分野へもテーマを広げ、画家としての道を進めた三遊亭円朝の肖像画は、重要文化財になっている。
清方が浮世絵の残酷絵で有名な月岡芳年の孫弟子にあたるということ、落語家から画家の道を進められたというのは、ちょっと驚いた。彼は1878年(明治11年)生まれだが、江戸情緒の残る環境で育ったのだろうとおもった。
今回の展示はおおざっぱに下記となっている。リストを見ると前期に比べ個人蔵が多く、しめしめと思った。
・雑誌用作品、挿絵想定の作品
・美人画
・肖像画および江戸情緒の作品
・清方愛用の備品(湯呑、硯、墨、文鎮 等)
(1)挿絵等想定の作品、
清方が樋口一葉の「にごりえ」を想定した挿絵、そして雑誌「苦楽」の表紙となった作品が並んでいた。清方は会場に展示される芸術だけではなく、卓上芸術という机の上でじっくりと眺めてもらうタイプの芸術を提唱していたが、これらの作品は、それに対応した単行本くらいのサイズだった。
にごりえは15作品が並ぶが、1934年だからある程度の年齢で愛着を持って描かれたとのこと。
崩してたばこを吸うなど美人画のジャンルを外れているが、東京の下町の風情が出ている。
1枚目 主役。色街の女性。一人ほれ込んだ男を捨て、自分は他の男にほれ込んだ女性
2枚目 ほれ込んだ男へ酒を飲みながら、自分のことを話している。
3枚目 帰ろうとする男を引き留める
4枚目 前の男に殺される前の女性
(2)美人画
(1)の挿絵は物語の味を生かそうと書かれているが、この美人画の範疇ではこの展覧会の惹句に書かれている「清くあれ、潔くあれ、うるはしくあれ」を具現するような、女性の美を理想化している絵の作品が並んでいる。
姿を見て確かに浮世絵の美人画の流れで本当に美しいと思った。解説により、眼や口の描き方のわずかの違いによって感情をかき分けているとのことで、注意してみてなるほどと思った。
「嫁ぐ人」
明治20年 美人画に移ったばかりの頃。その頃の絵と浮世絵がまざっている。籠の鳥がぶら下がっているのも、未来を暗示しているようでご愛敬。
「たけくらべの美登里」
昭和15年 大家になってから。眼がすっきり、口元が可愛い。
「春宵怨」
戦後 昭和26年 とてもモダンな帯
(3) 肖像画および江戸情緒の作品
美人画のように理想を描くのではなく、実際の人の存在そのものを描こうとしたのか、周辺の人や徳川慶喜、そして彼が会うことはかなわなかった樋口一葉の肖像画がある。
彼は一葉の近親者と話し、彼女の使った道具等を調べて彼女の肖像画を描いている。貧しい中に凛とした佇まいの意志の強い女性が描かれている。
「慶喜恭順」 と 「樋口一葉」
また江戸風俗、子供に対する目が優しい。
「夏の武家屋敷」
真摯に継続して自分の美の表現を追求しつづけた人ということがわかる展示だった。前期も見ていればよかった。
また東京国立近代美術館でこの人の最高傑作と言われる「築地明石町」を展示しているので、行ってみたいと思った。(出張等では行くチャンスはない。しかし東京までの新幹線往復は、ウィーンフィルのコンサートよりは安い・・・・)