てんちゃんのビックリ箱

~ 想いを沈め、それを掘り起こし、それを磨き、あらためて気づき驚く ブログってビックリ箱です ~ 

岡崎散歩

2022-12-03 22:29:55 | 旅行
 11月の下旬、少し余裕が出来たので、岐阜の次はNHKの次のドラマ「どうする家康」に関連した岡崎に行った。
 名鉄電車に乗ってからネットを覗き、家康関連の岡崎城と八丁味噌の里に行くことに決めた。八丁味噌は名古屋の味噌煮込みうどん、味噌カツなどで使われる豆のみで作った赤味噌で、高級品である。

1.岡崎城
 岡崎公園前駅から、歩いて数分。途中の店で食事しようかと思ったが、晴れていたのでおにぎりを買って公園内で食べることとした。
 正解で、堀にイチョウの葉が時々落ちるのを見ながらのんびりと食事をした。

 
昼食時の眼の前の堀

   

 その後、天守閣へ向かったが立派な石垣があり、これは戦国の頃からのものだった。天守閣にたどり着くと、残念ながらNHK放映のための観光客向け整備ということで閉館中。その他の三河武士の館も同様ということで、建物の中には入れなかった。
 天守閣は1959年の再建とのことだが、実際のものそっくりということで、その建物や石垣、堀に、紅葉を組み合わせた風景を楽しもうということで、歩き回った。途中の像も面白かったし、またフォトウェディングの一行とほぼ一緒に移動し、その撮影風景が楽しかった。

  
 
立派な石垣(かなり古い)             清海堀と天守閣



 
閉館中の看板


 下図は、三方ヶ原で武田信玄に敗れた後の家康の肖像

<どうする家康>



悔しさを
教訓として
残したが
有象無象に
見られたくない


下図はフォトウェディングのカップルと城。

<城は見守る>



頼むぞと
城は見守る
これからの
国の安寧
先ずは子作り



2.味噌蔵見学

 岡崎城を離れ、八丁味噌の里へと移動した。そこはカクキューという会社の味噌蔵だった。ちょうど見学が出発したばかりとのことで、次が1時間後とのことだった。
 八丁味噌とは、岡崎城から八丁のところの八丁村で作られていたことに由来し、良質の⼤⾖、⾷塩、⽔だけを原料として大きな杉桶に仕込んで、製造時の加圧のための石の積み方と長期熟成に特徴を持った味噌である。

 時間をつぶそうと周辺の散歩を始めたら、別の味噌蔵、まるや八丁味噌を見つけた。カクキューほど目立って書かれていないが、こちらも工場見学ができ、まもなく出発ということだったので、まずこちらに参加した。

(1)まるや八丁味噌



  まるや八丁味噌の暖簾


 小さな直売所で開始まで待機。予定より早く開始。
 一緒に回った見学者は8名で、マイクもなしによくとおる声だった。基本工程を周り、だいたい下記について説明した。よくある小さな工場をコンパクトにまわる見学のような感じだった。
 ・会社の由来 創立者、八丁の名前の由来
創立は1337年 なんと南北朝時代。
 ・味噌の作り方、特に熟成期間と熟成時の石の積み方。
   いろんな形の石3トンを、バランスよく積み上げるのが職人の技。大きな地震でも崩れない。
 ・桶の扱い方
 ・熟成する蔵の歴史(もっとも古い蔵がある)
 ・豆味噌からの製品の展開 (豆味噌と赤だしの違いは初めて知った。)
 ・海外への輸出
 ・日吉丸(秀吉)が石を投げ込んだ井戸
   日吉丸がおなかを空かせて忍び込み、見つかって逃げた。
   その際、石を井戸に投げ込み飛び込んだかのように誤魔化したとのこと。
 ・純情きらり(昔のNHK朝ドラ)との関連
 見学は30分弱、てきぱきとしていた。最後にこんにゃくの味噌あえの試食ができ、赤だしの試供品が配られた。



日吉丸由来の井戸




製造工程


下図は 古い蔵の中。

<頑張れ麹菌>




この蔵で
2年眠れば
麹菌
昔ながらの
味を育む


 
(2)カクキュー

 まるやを出てそのまま帰ろうかと思ったが、カクキューの見学時間にちょうど間に合うようだったので、そちらも見学してみることにした。



八丁味噌の里の駐車場



カクキューの看板

 こちらは、現地から少し離れた所から「八丁味噌の里」という道案内表示があり、現地には広い駐車場とともに、広い直売所、味噌を使った料理のレストラン、そして八丁味噌に関わる情報案内所がある。情報案内所に最近話題となっている「八丁味噌」にかかわる地域ブランドの裁判の結果とそれに関わる抗議の情報があった。
 
 こちらの見学者は、30~40名はいた。案内者1名が拡声器を利用して、集団を引き連れてゆっくりと移動した。関係ない人々の集団を動かすのは、集団の統一石木がなく勝手なことをするから難しいけれども、案内者の声のリーダーシップが訓練されているなと思った。かつて私が企業にいたときは、この人数ならもう一人補助をつける。
 こちらのほうは、工場内に資料館を作り、味噌づくりの様子を等身大の人形で再現するほか、古い看板、宮内省御用達の資料やレトロなパッケージなどを展示している。この企業は従業員50人前後のはずだが、観光への力の入れ方がすごい。

 内容はまるやとほぼ同様だったが、創立は1645年で江戸時代になってから。
 味噌の製造工程や桶の話に関しては、資料館で情景を示している分わかりやすかったし、宮内庁御用達も含め、過去の活動記録もいろいろ展示しているためにまるやよりもわかりやすかった。また建物が登録有形文化財であることなどが誇らしく話されていた。
 日吉丸の井戸に相当するものはなかった。
 こちらは最後に味噌汁の試飲ができ、粉の味噌の試供品が示された。



宮内庁御用達の看板



資料館内の人形


下図は、カクキューの塗り替え中の看板。

<看板を鮮やかに>



八丁味噌の
名前は揉めたが
気分一新
味の看板
より鮮やかに

 
 今回の場合 カクキューの説明が集団に対して丁寧と感じたが、まるやの説明も少数の人に対して聴いている顔から理解状態を見て、ポイントを丁寧に話していた。どちらの説明もよかったと思う。


<八丁味噌 GIブランド事件>
 「八丁味噌」に対する農林水産省の地域ブランド(GIブランド)が、この岡崎市内旧八丁村にある2社ではなく、愛知の市外業者43社が参加する愛知県味噌溜醤油工業協同組合(県組合)が登録団体になるという事件が発生した。その結果 下記のことが起こることになった。
 ・岡崎2社は輸出先だったEU加盟国で八丁味噌という名前を使えなくなる
 ・2026年以後は、八丁味噌というブランドを使用する場合は、
   「GI認定を受けていない」という表示をつける

経緯は、下記参照
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220628/k10013692721000.html
 https://bamp.media/column/tanaka12.html


上記、およびその他の資料を読んだ結果の私の理解では以下である。
(1)八丁村の2つのブランドは、江戸以降確立したブランドとして、国内国外に八丁味噌という名前を拡げて来た。しかしその味噌づくり技術は、江戸時代以降にそれなりに愛知一円に広がって、同様の方法で作りだした味噌蔵があり、これまでもそれらがブランド名を使うことで揉めてきた。

(2)農林水産省が地方産業振興のために作った制度であるGIマークは、登録された産品の地理的表示と併せて付すもので、産品の確立した特性と地域との結び付きが見られる真正な地理的表示産品であることを証するものである。それとともに国内外における模倣品対策によりGI産品の名称・ブランドを保護するとともに、GIマークという統一ロゴの下、成功事例の横展開、市場展開をしようと考えた。後半は要するに産業振興を狙ったということ。

(3)上記に対して岡崎2社は、前半の産品特性と地域の結びつきという点から、製品の純化を狙い岡崎以外を排除するようにした。それに対して愛知の団体は後半の横展開、市場展開という点で農林水産省には産業振興できることが魅力だった。2社のみでは発展のパワーが小さい。
 そこで、2社を特別ランクとしてもいいから愛知の団体と組んで申請するようにと、働き掛けたが、2社は団体参加社の能力を評価してないので拒否した。そして揉めるなら両方申請するのはやめようと、2社側は申請をやめた。
(4)残った団体と農林省は、他の地域や外国が同様のものを作った場合には守れないという理由で、申請を通した。某政治家が政治家が暗躍したといった資料もある。


これについて、私は以下の様に農林省の失政であると思った。
①八丁味噌のブランドを国内外に拡げて行った幹は岡崎の2社であり、愛知の団体は枝葉である。
 愛知の団体の味噌の品質レベルがどうかに関わらず、八丁味噌ブランドを国内および海外に拡げていった幹は岡崎2社にあり、その他は枝葉である。2社が入ってなければ、八丁味噌という名の由来もその団体のほうは説明できない。(現実に団体側で、八丁味噌という名前を名前を使っている会社もまともな説明が出来ていない。)
 某社の八丁味噌の説明が、以下の様になっているので笑ってしまった。むしろ「無添加の」と書いてあることで、今後添加物ありも作るのではと疑念。
  ●地理的表示保護制度(GI)規格を満たした、無添加の八丁味噌です。

②八丁味噌の名前を冠した製造企業の状況をみても(各HPより)、岡崎2社はその生産が企業の根幹であるのに、愛知の団体のうちの生産6社は、その企業の商品の枝葉である。
 岡崎2社にはブランドへの愛着と守る意志を感じるが、団体の6社はブランドに敬意がなく、売り上げをあげるために名前にぶら下がろうとしていると感じる。利益が得られなくなったら、ブランドを捨てる可能性がある。

③下図に岡崎2社と愛知の団体の味噌づくりの内容の比較を示すが、愛知の団体のものに美味しさを感じない。桶や熟成期間で手を抜いているようにおもうし、重しの石の積み方は謎かけの面白味がない。 


(経緯 2つ目のURLから引用)



 岡崎2社の製法には伝統の隠し味を感じるのに、愛知の団体の製法にはロマンを感じず美味しそうと思わない。味に謎というかロマンが必要である。
 愛知の団体はむしろこの製法に合致するからといって、精神的制約がないからどんどん工業的でいい加減なものを作りだしそうな不安がある。またこの程度ならと真似するところもやりやすいだろう。
 この条件では2社も、同じ八丁味噌ブランドにはしたいとおもわないだろう。
 なお、ここでの八丁味噌の美味しさとはこれまでのものと違わないということで、違う美味しさがあったとしても、それは異質で美味しくないとなる。

 私なら例えば下記のようなA案、B案を考える。
A.愛知県の団体は別途「あいちの赤味噌」ブランドを立ち上げる。それでコストパフォーマンスで十分対抗できると思う。
 また、従来の八丁味噌にない独自の美味しさを作った場合にはそれを主張できる。古色蒼然とした田舎味噌からの脱却を宣言すればいい。

B.伝統重視ならば、岡崎2社でまず「八丁味噌」ブランドを立ち上げ、第3者機関を作って味やブランド維持のヒアリング等から、能力のある希望企業を参加させていく。

 八丁味噌は、岡崎を中心とする愛知県民に根付いたブランドであり、農林省とか裁判所の判断で県民が納得するとはおもえない。

 もしこれで農林水産省がごり押しをするのならば、岡崎2社には八丁味噌ブランドをやめて、寧ろ欧米の高級食材や調味料会社と組んで、新しい国際ブランドを作って活動することをお勧めする。


コメント (2)
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