1週間引きこもるにあたって、
お菓子を買っておくと暇つぶしに食べてしまう恐れがあるため1つも買わなかったんですが、
『何も無いのでおやつに食パンを食べてしまう』という事案が昨日発生してしまいました。 

そんな訳でヒマにしているとまた食パンを食べてしまう恐れがあるので、
今日はジョホールバル旅行の続きを書きたいと思います。 

まずはジョホールバルからハイウェイでアイルヒッタムという町まで行って、そこからバトゥパハに南下しました。
バトゥパハは地球の歩き方にも載っている街ですが、ただ1つの事柄しか載っていません。
それは流浪の詩人金子光晴が著した紀行文「マレー蘭印紀行」に関することです。
そして見どころとして載っているのは、80年以上前にその時の彼が滞在した「旧日本人倶楽部」の建物だけです。

1階部分はまだ使われているようではありましたが、2・3階部分はほとんど廃墟というか鳥のねぐら状態でした。
この町は当時、ゴム園や鉱山などで非常に栄えていて日本人もたくさん居たようですが、
今はこの界隈は本当に寂れ果てていました。
しかしこの旧日本人倶楽部の建物の前には、バトゥパハ川に面して税関の建物があり現在も使われているようだったので、
何かしらの貿易が今現在でもこの町で行われているんでしょうか。
そういえばハイウェイからここに南下して来る途中のな~~んにも無い場所に富士通の大きい工場があって、
どうしてこんな不便な所に作ったんだろうと思いましたが、ちゃんとした理由があっての立地なのかもしれません。
たぶん「マレー蘭印紀行」を読んだことがあれば、
「ふ~ん」とか「暑い」とかいうのとはまったく違う感想や感慨をもってこの寂れた古い街を見ることが出来たかもしれません。
だから勉強というか教養って大事 

他に見るところは?ということでこちらで買ったジョホール州の地図を見たら・・・

海のそばに「五百年古井」と言う場所が
マーク付きで載っていたので行って見ることにしました。

マレーシアで買った地図なので、バトゥパハでは「五百年古井」と「ウェットワールド」というのだけが見どころとして載っていて
旧日本人倶楽部なんかは載っていませんね。
で、着いたところがこれ。 


えっ?これっ? っていう汚い水の入った窪み。
これは一体なんだったんだろう・・とついさっき調べたら、
バトゥパハ(ノミで掘った岩)という地名の由来となった場所だそうです。
15世紀にシャムの軍人がマラッカの軍隊から逃げている時に、水を求めて掘った井戸なんだとか。(英語なので多分ですが)
日本人がわざわざ来る必要は全然ありませんが、
駐車場もあるし東屋などもあって、夕日スポットになっているようでした。

次回はムアルに続きます。 
