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瑠璃色の海
三線の音
琉球民謡
があれば私の沖縄は成立する
はじめに
そんな沖縄が米軍基地に対する左翼運動家の拠点となって、赤テープをフェンスに巻き付け、妨害の凧を揚げる。私のイメージばかりか、県民の生活まで破壊している。地元の若者は県外に働き、左翼のリタイア組は退職金を抱え移住する。
左翼一大リゾート老人ホームと化している。
左翼ばかりでなく、中国までもが尖閣、沖縄を奪う目的で工作員を上陸させている。
全ての問題の根本は戦場となり多くの人命を奪われた70年前にある。その痛ましい記憶と占領時に本土が主権回復をした。1952年4/28サンフランシスコ講和条約の時である。
20年経った1972年5/15本土復帰をはたした。
20 年もの間沖縄は日本ではなかった、だから沖縄では4/28を「屈辱の日」としている。
「占領期間中捨てられた、置き去りにされた」そんな思いがあったのだろう。
では今、沖縄県民の総意が左翼史観なのかと言うとあながちそうではない。米軍基地のお陰で働き口が出来、復興もした。保守的な人も相当数いる。
ポツダム宣言の第12条には
「前記諸目的ガ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルベシ」
とあるが、これに反する形でメッセージが国民に隠されたまま送られた。
〈天皇陛下のメッセージ〉
秦郁彦氏はいわゆる「天皇メッセージ」についてその著書「昭和天皇五つの決断」(文藝春秋)で、次のように述べている。
「23年早々という早い時点で、アメリカのアジア戦略の動向を正確に探知して、適切な情勢判断を示した天皇の洞察力には脱帽のほかない・・・」
彼は現代史家として広く国民に名を馳せているが、
皆さんはこの文章に対してどの様な感想をお持ちであろうか、
【最後に私の感想を載せますのでそれを考えながら読み進めて下さい。】
1947年9月20付けのシーボルトからマッカーサー宛の文章を封書に同封して、
シーボルトがワシントンの国務長官宛に1947年9月22日付けで送っている。
所謂、天皇陛下の「沖縄メッセージ」である。
標題:将来の琉球列島に関する天皇の考え
【マッカーサー宛メモ
天皇の顧問の寺崎英成が、将来の沖縄に関しての天皇の構想を私(シーボルト)に伝えるため訪れた。
寺崎は、天皇が米国が沖縄や琉球列島の島に軍事占領を継続することを希望していると述べた。
天皇の考えは、そのような占領は、米国にとっても有益であり、日本にも防護をもたらすことになるだろうというもの。
天皇は、そのような行動は、広く日本国民に受け入れられると感じている。国民の間では、ロシアの脅威があり、また、
占領が終わった後に、左翼や右翼のグループの台頭もあり、かれらが事変を起こしかねないし、それをロシアが日本の
内政干渉のために利用する可能性もある。
天皇が更に考えるには、沖縄の占領(他の島の占領も必要かもしれない)が、日本の主権は残した状態で、25年や50年間、
いや、更に長期間の賃借の形態に基づくものになるであろうということである。
天皇は、このような占領政策によって、日本人にアメリカが琉球列島に関して恒久的な意図が無いように思わせるのであり、
他の国、例えば、特にソ連や中国が同様な権利を要求することをそれによって止めさせることになるという。
手続きに関して寺崎が思うには、沖縄や琉球列島内の他の島における軍事基地の権利獲得については、日本と連合国の
講和条約の一部にする方法よりも、むしろ日米間の二国間の条約によるべきであるとする。
寺崎が思うには、連合国との講和条約の一部にする場合は、かなり強制的な平和条約の様相になることが察しられ、
将来、日本人のことを同情的に解するなど危機的になるだろうと。】
以上が沖縄メッセージの訳だが、これを左翼勢力は
天皇自らが(命乞いのように)沖縄を売り渡す手紙を書いたのは許せないと
息巻く人も少くない、その期間50年以上の部分にも触れ
天皇陛下の戦争責任まで拡大しかねない程のものにこのメッセージはなっている。
次に手紙を書き渡したとされる、寺崎氏の日記
寺崎英成御用掛日記
【9月19日(金)
22年9月、芦田均外相は特別協定を結んで、日本の安全保障をアメリカに依存するかわりに、米軍へ日本本土のどこかに基地を提供し、日本も警察力を増強するという案を、一時帰国する第8軍司令官アイケルバーガー中将に託した。
マッカーサーがこれを受けつけてくれる気配がないので、反ソ・反共の中将を通してワシントンへの直訴を試みたのである。】
ところがこの日、彼は重要な天皇の意見をシーボルトに伝えている。それは9月22日付のマーシャル国務長官あての手紙として残されている。
「天皇は、アメリカが沖縄をふくむ琉球列島を軍事占領しつづけることを希望している。天皇の意見によると、その占領はアメリカの利益になるし、日本を守ることになる」
「この方式は、アメリカが琉球列島に恒久的な占領意図をもたないことで、日本国民を納得させることができよう」
このように水面下で行われた日本を無血開城させる為の
天皇陛下の知恵は
寺崎、シーボルト、を通して正確かつ詳細に行われたのである。
敗戦によって散々に引き裂かれた日本国民のバラバラになった感情や心を
首の皮一枚で繋ぎ止める役割を果たしたのかもしれない。
それだけに、左翼勢力のこの反日ともとれる運動は
県民を巻き込み過去の感情を利用し陛下のメッセージを歪曲させている。
今上陛下の沖縄御訪問で日の丸の旗が多く振られ、提灯の行列を目にした時、
沖縄県民の本音と叫びが聞こえ胸を撫で下ろした。
ここで前述の秦郁彦氏のメッセージに関する評価ですが
洞察力に脱帽と言葉少なげだが当たり障りのない評価に
沖縄の抱えている問題の大きさ、複雑さがうかがい知れる
更に、穿った見方をすればメディアにすり寄る姿勢は天皇と呼び捨てておきながらあげつらう言い回しは
先の大戦の軍部への憎悪を覆い隠しても、僅かに滲み出ている様にも感じられる。
このように信頼のおける歴史家でさえ己のイデオロギーを抑えるのに懸命なのだろう。
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私はこの天皇陛下の沖縄メッセージこそが
特別な御高配なのであったに違いないと確信した。
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