天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

靖国神社廃止論

2015-02-20 10:41:44 | 歴史



中曽根首相 民社党塚本三郎氏への答弁

「戦争指導者や責任者は、日本国民の立場から批判されるべきだ。国の命令で前線へ出て戦死した将兵と、戦争を指導した人たちの立場と責任は違う。そうした考えで靖国神社問題に対応していく」
 
後藤田官房長官 終戦の日に関する談話

「昭和60年8月15日、A級戦犯を合祀している靖国神社に中曽根首相が参拝したことは、首相がA級戦犯にお参りしたのではないかという、近隣諸国の疑惑を生んだ。しかし、首相が参拝したのは、あくまで、これらA級戦犯を除く、一般戦没者の慰霊のためであった。したがって、近隣諸国との友好維持のため、今年(昭和61年)は、首相の靖国参拝は行わない。」

昭和が幕を閉じようとしている、終戦から40年の時が経とうとしている時期のこの様な政府首脳の思考がどこから来るのか。

注意深く探るまでもなく、それは終戦直後の石橋湛山に源泉を見る事が出来る。



石橋湛山
「靖国神社廃止の議 難きを忍んで敢て提言す」

(東洋経済新報1945年10月13日号)


甚だ申し難い事である。時勢に対し余りに神経過敏なりとも、或は忘恩とも不義とも受取られるかも知れぬ。併し記者は深く諸般の事情を考え敢て此の提議を行うことを決意した。謹んで靖国神杜を廃止し奉れと云うそれである。
 靖国神社は、言うまでもなく明治維新以来軍国の事に従い戦没せる英霊を主なる祭神とし、其の祭典には従来陛下親しく参拝の礼を尽させ賜う程、我が国に取っては大切な神社であった。併し今や我が国は国民周知の如き状態に陥り、靖国神杜の祭典も、果して将来これまでの如く儀礼を尽して営み得るや否や、疑わざるを得ざるに至った。

殊に大東亜戦争の戦没将兵を永く護国の英雄として崇敬し、其の武功を讃える事は我が国の国際的立場に於て許さるべきや否や。のみならず大東亜戦争の戦没者中には、未だ靖国神杜に祭られざる者が多数にある。之れを今後従来の如くに一々調査して鄭重に祭るには、二年或は三年は日子を要し、年何回かの盛んな祭典を行わねばなるまいが、果してそれは可能であろうか。啻に有形的のみでなく、亦精神的武装解除をなすべしと要求する連合国が、何と之れを見るであろうか。万一にも連合国から干渉を受け、祭礼を中止しなければならぬが如き事態を発生したら、都て戦没者に屈辱を与え、国家の蒙る不面目と不利益とは莫大であろう。
 
又右の如き国際的考慮は別にしても、靖国神杜は存続すべきものなりや否や。前述の如く、靖国神杜の主なる祭神は明治維新以来の戦没者にて、殊に其の大多数は日清、日露両戦役及び今回の大東亜戦争の従軍者である。然るに今、其の大東亜戦争は万代に拭ふ能はざる汚辱の戦争として、国家を殆ど亡国の危機に導き、日清、日露両戦役の戦果も亦全く一物も残さず滅失したのである。遺憾ながら其等の戦争に身命を捧げた人々に対しても、之れを祭って最早「靖国」とは称し難きに至った。とすれば、今後此の神社が存続する場合、後代の我が国民は如何なる感想を抱いて、其の前に立つであろう。ただ屈辱と怨恨との記念として永く陰惨の跡を留むるのではないか。若しそうとすれば、之れは我が国家の将来の為めに計りて、断じて歓迎すべき事でない。
 
言うまでもなく我が国民は、今回の戦争が何うして斯かる悲惨の結果をもたらせるかを飽まで深く掘り下げて検討し、其の経験を生かさなければならない。併しそれには何時までも怨みを此の戦争に抱くが如き心懸けでは駄目だ。そんな狭い考えでは、恐らく此の戦争に敗けた真因をも明かにするを得ず、更生日本を建設することはむずかしい。我々は茲で全く心を新にし、真に無武装の平和日本を実現すると共に、引いては其の功徳を世界に及ぼすの大悲願を立てるを要する。それには此の際国民に永く怨みを残すが如き記念物は仮令如何に大切のものと錐も、之れを一掃し去ることが必要であろう。記者は戦没者の遺族の心情を察し、或は戦没者自身の立場に於て考えても、斯かる怨みを蔵する神として祭られることは決して望む所でないと判断する。
以上に関連して、茲に一言付加して置きたいのは、既に国家が戦没者をさえも之れを祭らず、或は祭り得ない場合に於て、生者が勿論安閑として過し得るわけはないと云うことである。首相宮殿下の説かれた如く、此の戦争は国民全体の責任である。併し亦世に既に論議の存する如く、国民等しく罪ありとするも、其の中には自ずから軽重の差が無ければならぬ。少なくも満州事変以来事官民の指導的責任の住地に居った者は、其の内心は何うあったにしても重罪人たることを免れない。然るに其等の者が、依然政府の重要の住地を占め或は官民中に指導者顔して平然たる如き事は、仮令連合国の干渉なきも、許し難い。靖国神社の廃止は決して単に神社の廃止に終るべきことではない。



 その論点は大きくいって2つ、前半では靖国神社廃止の論拠、後半では戦争責任を論じている。
石橋湛山が靖国神社を廃止せよという論拠は、4点にまとめることができる。

(1)は国際的考慮という点。つまり大東亜戦争で亡くなった将兵を護国の英雄として崇敬し、その武功を讃えることはもはや国際的に許されない。

(2)は大東亜戦争は国家滅亡の危機へと導いた汚辱の戦争であり、その戦争に命を捧げた人々を祀ることはできない。

(3)わが国の将来のためには、ただ屈辱と怨恨の記念として靖国神社を残すことは断じて歓迎できない。

(4)戦没者自身の立場から考えても、国民に永く怨みを抱く神として祭られることはけっして望むことではなかろう。以上四点が、湛山が主張する靖国神社を廃止せよという論拠だ。
 
と同時に、後半で戦争責任の問題を論じている訳で「この戦争は国民全体の責任である」、これがまず第1点。ただし第2点として、「国民等しく罪があるとはいえ、少なくとも満州事変以来の軍・官・民の指導的責任者は重罪人であることを免れない」。

第3点、ところがそれら重罪人が「依然、政府の要職を占めていることは許しがたい」。第4点「靖国神社の廃止は単に神社の廃止に終わらない」。こういうことを述べている。

端的に私情を絡めて言えば、戦争に負けました、白が黒になりました。日本には黒が生き残り、白に関係する者を全て捨て皆さん黒として、白に憎悪を抱くことにより、反省を表現し、白に関わるのをやめましょう。白のシンボル靖国を廃止するのです。
戦争の責任は白、黒等しくあります、が軽重を言えば白の一部にその重きがあり、靖国のみならず、白の重罪人に罪があるのです。

如何だろうか、東京裁判の捉え方によって、白、黒ハッキリ分かれると思うが、この時点が白と黒の反転した時である。その反転が手の平返しなのか、苦渋の末であるかは今となっては判断のしようがない

だがこの時点での国のトップの思考は白に対抗しての黒一色だったのだろう。70年経過した現在、九段にはそのままに靖国神社が存在している。

何故だろう、細かな分析など必要ない、答えは簡単である。

天皇陛下が御座すからである。

反軍国主義は日本が生き残るための重要な約束であったことは否定できない、そして白黒入乱れて、グレーのまま靖国問題として完治しないのだ。

依然黒が優勢である、その力の証拠が天皇陛下の御親拝の中断である。さらに戦犯合祀を問題とすることでグレーのバランスを保とうとし、そこに首相が参拝することと、さらには中国に内政干渉させることにより靖国神社廃止へと揺り返しを狙うのだ。

戦前、日本は白一色になり存亡の危機を戦った、敗戦により赤く染まったものが一気に黒となり、二度と白にならないように、封印し、その過程で白だけが悪いことにし、あまんじて戦勝国の歴史観を受け入れそのままにした。

靖国神社のみが白の正当性を語り継いだが政治、マスコミ、世の中は挙って白を否定して、問題にして騒ぎ立て、隣国の反応にデリケートになり、その不当な申し立てで教科書までも言いなりに書き換え、

グレーがグレーのままでその力は拮抗しているのだ
冒頭の中曽根元首相は軍部の経理にいた、白から赤を経由しない黒だろう。赤を経由した者は誰もが口を噤んだに違いない。

この様な現在の状態でグレーだけが生き残る世の中になれば人々は武道館に集まり戦没者を慰霊するのだろう、それは戦没者遺族の減少と共にやがて消滅し、武道とコンサートのみになるのが手に取るようにわかる。

そんな事を思いながらふと頭をよぎった、広島の原爆ドームだ、駄々広い公園と遺されたドーム、今はその広さとドームからしか原爆の悲惨さは感じることができない。

悲惨な被害を後世まで語り継ぐ為、二度と経験しない為のモニュメントになっている。

靖国とドームの共通点と相違点これが明白に理解出来た時に、靖国の必要性と重要性が明確になるだろう。

その話はいずれ近いうちに。






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