藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

雨が降ります雨が降ると思いきや、・・・・

2024-12-22 09:52:19 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜来雨である。広島県の山間部では、数年間で最高の雪だそうだ。 喜んで居るのはスキー場。 廃業を真剣に考えていたところもあるそうだ。 そんな事を思いながら、カーテンを開いて向かいの山を見たら、ムムム・・・・・。 山頂部分が白いでは無いかいな。 

此処も広島市の山間部、雪が降っても不思議ではない。 移住してきた当初は、40cm位の雪はショッチュウ降っていたが、温暖化であまり降らなくなっていた。 しかし今年は違うようだ。 姉の家は、むかいの山の隣りあわせ。 寒そうな霧に霞んでいる。 それにしても我が家の「山姥」は、お元気である。 颯爽と、ボランティアにお出かけされた。 入園前の、1~3歳児の集まりのお手伝い。 幼子が可愛くてたまらない様だ。 自分の孫は、みな大きく成って、相手をしてくれない。 用事は「お小遣い」だけである。 一番下が中学三年生になって急に女に成って来た。 英検準二級を取ったと報告が有ったら、銀行の封筒に「おめでとう」書いて、お小遣いを渡していた。 私に判らぬ様に、娘にそっと封筒に入れたお金を渡したようだ。 昨夜、私の自動車の車検お話をしたら、「いつも、食事など生活費は全部出してくれているから、車検代くらいはお出ししますので、幾らいるか言ってください。」と告げられた。 なんだか、雇用者と従業員の関係に成って来つつるようだ。 賃上げ闘争をやるとお金が出て来て、黙っていると出て来ない。 まあまあそれで良いのだろう。 いづれにしても私の方が、先にお空の上に煙となって、幾運命なのだから。 私の携帯には週に三度、「親鸞会」から、有難いお話が送られてくる。 読ませていただいているが、途中で寝ている。最後の所が何時も思い出せない。10時23分急に雨音が消えて、空が明るく成って来た。 晴れたら買い物に言って来よう。 「ねぎとろ」昨日の売れ残りが合ったら買ってきたいのだ。 解凍されて一日店に出されて熟成した「とろ」は、刻んだ葱と混ぜ合わせて、ほんの少し「醤油」たらして、熱々の麦飯の上に乗せると、「うないー・・・」と、思わず声が出る。 今では、「麦飯」用の「麦」の方が高くなった気がして来た。 

 行方不明ブログ回復には、本当に皆様の協力に感謝しています。 (座布団から降りて、平身低頭・・・) 有難うございます。

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実働60時間以上

2024-12-20 11:31:25 | 日記・エッセイ・コラム

   我PCが、Windows10からWindows11に自ら変化して、使い勝手が悪くなっていた。 Windows10に戻すのに、実働60時間以上かかった。 Windows11のPCは、デスクトップが1台、ノート型が1台ある。 奥様専用は別にある。 色々使ってみて、Windows10方が私には合っている様だ。 そこで、Windows10を取り戻すために、ソフトの里帰りを試みた。 とは言っても、生半可ではなかった。 そこに残っている多くの資料を、別に記憶させておけばよかったのだが、そこが初めての試み、抜けていた。 11から10への里帰りは、手順が判ったが、どれだけ記憶させた資料や、「office」が残せるかが課題だった。 作業を始めて、まず最初のWindows10への里帰りが、思いも拠らぬ時間がかかった。 10時間以上である。 残せる資料は残すようにした事が、時間を使ったようである。 いやはや、最初から再インストールの方が早かった気がしたが、Windows10のソフトは、購入時についていなかった。 その後の処理が大変だった。 「Office」は、手元ソフトが有ったので修復作業は簡単だったが、他のソフトは、全てダウンロードしてきた物なので、先ずPCからその痕跡を取り除いて、再インストール。 欲張り爺さんが入れていたソフト全て回復させるのに時間がかかった。 如何にせん、Windows11用のソフトではなくWindows10用を探し出すのが一苦労。 若かりし頃、拾い集めたパソコンのガラクタで、一台のパソコンを作ったよりも手古摺ってしまった。 最早、「爺」の意地だけが気負っていたようだ。 回復したパソコンは、快調である。 使いやすい。 熟れとは恐ろしい物である。 何れは、Windows11に移管しなければならないのだが、・・・・。 先が思いやられる。 そうそう、一番手古摺ったのが、わがブログの管理に入る方法が見つからず、二日間懸かった。 Gooのidを、記録してなかったためだ。と言うのも、記録していたのがこのPCだったため、記録が取り出せなくなってしまた。 我が携帯と、OCNのメールをフルに使って、「goo」とやり取り。 私が「ブログ製作者本人」の確認に時間がかかったのである。 これが原因で、新しいブログを開設される人が多い様だ。 ただお「気に入りブログ」の記録は、復活できなかった。 一度でも、コメントを、お送りした皆さんへお願いです。 皆さんのブログ名を、コメント欄に、お送りくだされば幸いです。

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デスクトップパソコンの反乱

2024-12-16 14:05:55 | 日記・エッセイ・コラム

 我がパソコンが、反乱を起こした。 自分勝手にWIN10から、WIN11に変更し始めた。 原因は、アップグレイドを検討せずに、「お任せにしていたから」のようだ。
それを、元に戻そうとしたら、office 2010が、おかしくなってしまった。 作動しないのだ。 再インストールしようと思ったが、どのソフトでインストールしたか、記憶がない。
ソフトが、3セットある。 変に弄ると、可笑しな事に成りそうなので、この記事の下書きも「メモ」を使って書いている。 やはり何事も、記録して置かないといけない事だと、実感している。 パソコン様は、office 2010を再インストールせよと、再起動の度に迫って来る。 幾ら迫られても・・・。

そもそも、Win11のパソコンは、別にノート型と、デスク型の二台あるので、「10」を残しておきたかったのだが・・・・。 復旧工事は、何時終わる事やら・・・。

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虹(にし)山に入る夕日・・・

2024-12-12 13:43:07 | 日記・エッセイ・コラム

 この街の西に存在するのが、虹(にし)山。 旧藩時代からの呼び名である。 ところがその麓の町の名は「虹(にじ)山」である(新町名は亀山南)。 従ってかつて存在した小学校も、虹(にじ)山尋常小学校と呼ばれていた。 その山の麓を、南北に流れる川は、大文字川と呼ばれ、私の住む側の山は福王寺山である。 その川を隔てて、福王寺側は、町名を「亀山」と呼ぶ。 一説には、福王寺から眺めると、良く「虹」が掛かったからだという説が有るが、いい加減な説である。 その 虹(にじ)山尋常小学校跡地に立っているのが、亀山公民館で、私が現場責任者を務めた建物だ。 そんな話をするために、ブログを書き始めたのではなかった。 冬至は何時だろうかと、思ったのが昼飯の最中。 お日様が、一番南に近い西に沈んでいく、ここでは「虹(にしやま)山」と、原爆投下時に、観測機器を吊るした落下傘が、落下してきた「水無山」の中間に沈んでいく。 一度冬至の西日を、写真に撮りたくて、手に写真機を持ったのだが、私の指令に従ってくれない。 この写真機は、「ペンタックス」のもっとも古いタイプで、手に入れたのは十カ月ばかり前であり、説明書も無く、弄り回していたら、勝手にビデオ撮影を始めたり、ハタマタ「コマ撮り」を始めたりの状態になってしまった。 色々いじくった結果、初期化してみたらやっと、写真が撮れた。 逆光線での写真が、どのように映るか、シャッターを押してみた写真が、・・・・・

なんともはや、写真と言えない状態である。 冬至の日時を調べたら21日だそうだ。 未だ幾分日にちが有る、それまでに色々試して、出来れば冬至の「夕日」の写真をここに乗せたいものである。 カメラが良くても使う者が・・・では、いい写真は出来ないのを実感している。

 

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これも「初雪」ではないでしょうか・・・・

2024-12-08 12:30:02 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜六時過ぎから、雨になった。 何時もならば、十九時から夕食なのだが、十七時前から、全身の痛みが酷くなり、食後の痛み止めを速く飲みたいので、昨日からの残り物と、マグロのトロの叩き、(ネギトロ)をおかずに夕飯とした。 

 十八時頃から外の音が変わり、雨が降り始めた。 何時もの事だが、低気圧(雨降り)になると、痛み止めが効かなくなる。 幾年経てば、「まだに」の被害から解放されるのだろうか。 

 それが原因で、腎臓に負担が掛かり、心臓がお休み寸前の状態に三度なった。 加えて、胆嚢が石を作り、胆管を詰まらせたので、すい臓炎になり、後一歩であの世へとなるところだった。 おまけにX線写真で、胆のうがんの疑いが大きく成り、取ってしまったが、「癌」は何処にも無く、小さな胆石が胆嚢の中を占拠していたのだった。 そんなこんな事で、雨が降ると体中の神経系統が痛み始める。 

 草々に布団に潜り込んで、一錠しか飲んではいけない「睡眠剤」を、二錠飲んだが眠れない。 二十三時過ぎから、雨音が重たい感じの音に変わった。 加えて、気温が急に下がり寒さが襲ってきた。 電気毛布のメモリを「弱」から「2」にしてみたが、睡眠薬も何のその眠れない。 

 等々夜明けまで眠れぬまま過ごした。 早朝五時、雨音が消えた途端、朝の薬を飲んで居ないのに、痛みが軽くなって窓の外を覗いて視たが、何もまだ見えなかった。 朝食も手抜き。 残り物のフランスパンに、固まってしまった蜂蜜を塗って、私の好物の「キリマンジャロ」のコーヒーを入れて、片手にコーヒーカップ、残った手でフランスパンで済ませた。 食後の片付け簡単に済ませて、二階に上がって、カーテンを開けて外を眺めたら、・・・・・

 周りの山々の頂上付近の「雪」が、白く朝日に輝いていた。 暖冬になれた日常から、嘗ての師走の景色が戻って来たような気がした。 安閑と過ごしていたら、「師走」を忘れる事に成っていた。 幾年ぶりかの、十二月初旬の「雪景色」。 いやいや、二十年は見ていない気がする。 嘗ては十二月に入ると、一度は「一尺」は降った「雪」を、近年は経験していない。 暖かい冬も有りがたいが、季節ごとの変化が、「人間を人間らしく」している気がしてならない。

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