藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

虹(にし)山に入る夕日・・・

2024-12-12 13:43:07 | 日記・エッセイ・コラム

 この街の西に存在するのが、虹(にし)山。 旧藩時代からの呼び名である。 ところがその麓の町の名は「虹(にじ)山」である(新町名は亀山南)。 従ってかつて存在した小学校も、虹(にじ)山尋常小学校と呼ばれていた。 その山の麓を、南北に流れる川は、大文字川と呼ばれ、私の住む側の山は福王寺山である。 その川を隔てて、福王寺側は、町名を「亀山」と呼ぶ。 一説には、福王寺から眺めると、良く「虹」が掛かったからだという説が有るが、いい加減な説である。 その 虹(にじ)山尋常小学校跡地に立っているのが、亀山公民館で、私が現場責任者を務めた建物だ。 そんな話をするために、ブログを書き始めたのではなかった。 冬至は何時だろうかと、思ったのが昼飯の最中。 お日様が、一番南に近い西に沈んでいく、ここでは「虹(にしやま)山」と、原爆投下時に、観測機器を吊るした落下傘が、落下してきた「水無山」の中間に沈んでいく。 一度冬至の西日を、写真に撮りたくて、手に写真機を持ったのだが、私の指令に従ってくれない。 この写真機は、「ペンタックス」のもっとも古いタイプで、手に入れたのは十カ月ばかり前であり、説明書も無く、弄り回していたら、勝手にビデオ撮影を始めたり、ハタマタ「コマ撮り」を始めたりの状態になってしまった。 色々いじくった結果、初期化してみたらやっと、写真が撮れた。 逆光線での写真が、どのように映るか、シャッターを押してみた写真が、・・・・・

なんともはや、写真と言えない状態である。 冬至の日時を調べたら21日だそうだ。 未だ幾分日にちが有る、それまでに色々試して、出来れば冬至の「夕日」の写真をここに乗せたいものである。 カメラが良くても使う者が・・・では、いい写真は出来ないのを実感している。

 

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1 コメント

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Unknown (natu)
2024-12-13 20:47:18
ご心配をありがとうございます。元気で飛び回っています。今日は歎異抄講義に参加して午後半日を過ごしました。今日の話題は慈悲についてお話を戴きました今の私に一番必要なお話でした。反省しきりです。
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