「私の上の前歯の入れ歯は、未だ不帰」の状態である。 今作成中だが、正月明けの七日、仮歯が出来てくる。 その所為でブログを休んだわけではない。 ブログの目的が無くなって来た迄なのだが、多くの方が訪問していただいていることは知っていた。 何となくお別れの言葉が無く、これと言って辞めにしなくてはいけない理由も無いので、更新しなかった。 大みそかに成って、皆さんからコメントを頂き、びっくりするやら感謝するやら・・・・・。 さてさて新年は如何になる事やら。 改めて、「ご訪問頂いた皆様のご健康と、ご多幸をお祈りいたします。」 さてさて、来年は如何な事に成るやらなどと考える事の前に、日本の政治家の政治力の低下が気になって仕方ない。 買収選挙の横行、野党の人材不足、否、自民党然り。 社会の変革が必要になったのだろう。 個性と能力を伸ばせる大学に改革すべきであろうことは、国民すべてが感じている気がしてならないのだが。
上の入れ歯が、突然に行方不明。 我が寝床から忽然と姿を消した。 早二週間である。 食事の度に、「歯痒い思いをしている」。 正に「歯痒い」のである。 行方不明の原因は、金具の調子が悪いので、机の上に置いておいた。 食事の時のみ嵌めていたのだが、奥様が寝床周辺を掃除してくれた日の、夕食時から行方知れずとなった。 おくさまの所為ではない。 出たごみの中にも、掃除機の中にも何処を探しても姿はない。 私がどこかに置き忘れたのか探したが、これまた無駄な行動だった。 「いったい私の入れ歯は何処に行ったのでしょうか」 思わず空を見上げて呟いてみたが、出て来ないので、昨日病院で作って頂く事にした。 出来上がるのは正月明けの七日。 それまでは、「歯痒い」思いをしなければならない。
何時まで雪が続くやら、今年は寒い冬となりそうである。 広島のコロナ発生率は日本一になってしまった。 一つには、広島の感染者少なかったので、宮島に観光客が殺到したようだ。 東からの来客者は、お帰りの途中で尾道に立ち寄られたようで、尾道も感染者が増えている。 老人ホームの職員や、教職員が感染して、お休みとなった学校も多いいが、警察官や、市役所の窓口業務者に感染者が出てきた。 小さな町に詰め込まれた広島だから、一度クラスターが発生すると伝播が早いようである。 ところで、孫姫様が娘におねだりをしたというう。 我儘を言う子でないので、びっくりして聞いていると、塾通いの電車の中で、別の女の子が漫画を読んでいたそうだ。 横目で見てみたら、日本の歴史を書いた本だったそうだ。 その子は、塾でも日本史が強いそうで、こんな本で勉強していたのかと思ったらしい。 一か月近くもおねだりされた我が娘が、根負けして私に助けを求めてきた。 話を一緒に聞いていたばば奥様が即断で、それくら買ってやればいいと言い始めた。 ネットで探して即購入。 「学習まんが少年少女 日本の歴史 最新24巻セット」 と言う本だが、手に取ってみると確かにいい本である。 基本に忠実に書かれていて、大人が読んでも十分に耐えれる量の知識が満載されている。 世の中はこうして大きく変化していくのだろう。
十日以上、ブログを休んだ。 まんとなくやる気が失せている。 いっその事閉鎖も考えてが、お休み期間にもお尋ねいただいた方が有る。 それに労働災害被害者は、「石綿」だけではないと気付き、残す事として、はてさてこれからは、何を中心に書こうかと思っている。 一つには、自らのボケ防止。 二つ目は、一人暮らし老人の、災害時のための活動をいかにするか、この二点を中心に日々の生活をやって行こうかと思っている。 半径150m以内に、一人暮らし老人(80歳以上)が、十二人おいでだ。 自力での避難が出来る、もしくは近隣に子供の家庭が有る方が6人おいでだ。 とすると、残る6人の避難をいかにすればスムースに出来るか、なのだが此のほかに、五十代の娘さんが、両親と生活されている家庭が有るが、その家には車が無い。 この団地から避難先には車がないととても避難できない。 そんな事を少しばかり考えながら、日々生活できればと思い始めた。 来年の春以降は、和歌山から静岡県、長野県へと車での長旅を計画している。 幾日かかるかは今の段階では想像もつかないが、二週間くらいの予定である。
コロナの猛威が広島を包みつつある。 何処となく薄暗い街の動きである。 それ以上に我が精神が、・・・・。 と言うのも、同年の友が此のとこら痴呆が酷くなってきて、自分の配偶者が「石綿被害」で亡くなった事さえ忘れているのだ。 本人も、主人と一緒に仕事をしていたので、当然に「石綿暴露」して居る事は間違いない。 それなのに、「石綿被害」で支給される「健康管理手帳」の申請をすべき話をしたら、まったく「石綿」についての記憶が飛び去っていたのに驚いた。 それと同時に、我が精神的痛手が大きすぎて、当分の間立ち直れそうにない気がして来た。 彼女に対する接し方を考え直して先程、手作りの「酢サバ」をパックに詰めて我が奥様にもっていかせた。 幾年ぶりかの笑顔で喜んでくれたそうだ。 その役をやってくれた我妻に感謝である。