藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

デスクトップパソコンの反乱

2024-12-16 14:05:55 | 日記・エッセイ・コラム

 我がパソコンが、反乱を起こした。 自分勝手にWIN10から、WIN11に変更し始めた。 原因は、アップグレイドを検討せずに、「お任せにしていたから」のようだ。
それを、元に戻そうとしたら、office 2010が、おかしくなってしまった。 作動しないのだ。 再インストールしようと思ったが、どのソフトでインストールしたか、記憶がない。
ソフトが、3セットある。 変に弄ると、可笑しな事に成りそうなので、この記事の下書きも「メモ」を使って書いている。 やはり何事も、記録して置かないといけない事だと、実感している。 パソコン様は、office 2010を再インストールせよと、再起動の度に迫って来る。 幾ら迫られても・・・。

そもそも、Win11のパソコンは、別にノート型と、デスク型の二台あるので、「10」を残しておきたかったのだが・・・・。 復旧工事は、何時終わる事やら・・・。

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虹(にし)山に入る夕日・・・

2024-12-12 13:43:07 | 日記・エッセイ・コラム

 この街の西に存在するのが、虹(にし)山。 旧藩時代からの呼び名である。 ところがその麓の町の名は「虹(にじ)山」である(新町名は亀山南)。 従ってかつて存在した小学校も、虹(にじ)山尋常小学校と呼ばれていた。 その山の麓を、南北に流れる川は、大文字川と呼ばれ、私の住む側の山は福王寺山である。 その川を隔てて、福王寺側は、町名を「亀山」と呼ぶ。 一説には、福王寺から眺めると、良く「虹」が掛かったからだという説が有るが、いい加減な説である。 その 虹(にじ)山尋常小学校跡地に立っているのが、亀山公民館で、私が現場責任者を務めた建物だ。 そんな話をするために、ブログを書き始めたのではなかった。 冬至は何時だろうかと、思ったのが昼飯の最中。 お日様が、一番南に近い西に沈んでいく、ここでは「虹(にしやま)山」と、原爆投下時に、観測機器を吊るした落下傘が、落下してきた「水無山」の中間に沈んでいく。 一度冬至の西日を、写真に撮りたくて、手に写真機を持ったのだが、私の指令に従ってくれない。 この写真機は、「ペンタックス」のもっとも古いタイプで、手に入れたのは十カ月ばかり前であり、説明書も無く、弄り回していたら、勝手にビデオ撮影を始めたり、ハタマタ「コマ撮り」を始めたりの状態になってしまった。 色々いじくった結果、初期化してみたらやっと、写真が撮れた。 逆光線での写真が、どのように映るか、シャッターを押してみた写真が、・・・・・

なんともはや、写真と言えない状態である。 冬至の日時を調べたら21日だそうだ。 未だ幾分日にちが有る、それまでに色々試して、出来れば冬至の「夕日」の写真をここに乗せたいものである。 カメラが良くても使う者が・・・では、いい写真は出来ないのを実感している。

 

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これも「初雪」ではないでしょうか・・・・

2024-12-08 12:30:02 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜六時過ぎから、雨になった。 何時もならば、十九時から夕食なのだが、十七時前から、全身の痛みが酷くなり、食後の痛み止めを速く飲みたいので、昨日からの残り物と、マグロのトロの叩き、(ネギトロ)をおかずに夕飯とした。 

 十八時頃から外の音が変わり、雨が降り始めた。 何時もの事だが、低気圧(雨降り)になると、痛み止めが効かなくなる。 幾年経てば、「まだに」の被害から解放されるのだろうか。 

 それが原因で、腎臓に負担が掛かり、心臓がお休み寸前の状態に三度なった。 加えて、胆嚢が石を作り、胆管を詰まらせたので、すい臓炎になり、後一歩であの世へとなるところだった。 おまけにX線写真で、胆のうがんの疑いが大きく成り、取ってしまったが、「癌」は何処にも無く、小さな胆石が胆嚢の中を占拠していたのだった。 そんなこんな事で、雨が降ると体中の神経系統が痛み始める。 

 草々に布団に潜り込んで、一錠しか飲んではいけない「睡眠剤」を、二錠飲んだが眠れない。 二十三時過ぎから、雨音が重たい感じの音に変わった。 加えて、気温が急に下がり寒さが襲ってきた。 電気毛布のメモリを「弱」から「2」にしてみたが、睡眠薬も何のその眠れない。 

 等々夜明けまで眠れぬまま過ごした。 早朝五時、雨音が消えた途端、朝の薬を飲んで居ないのに、痛みが軽くなって窓の外を覗いて視たが、何もまだ見えなかった。 朝食も手抜き。 残り物のフランスパンに、固まってしまった蜂蜜を塗って、私の好物の「キリマンジャロ」のコーヒーを入れて、片手にコーヒーカップ、残った手でフランスパンで済ませた。 食後の片付け簡単に済ませて、二階に上がって、カーテンを開けて外を眺めたら、・・・・・

 周りの山々の頂上付近の「雪」が、白く朝日に輝いていた。 暖冬になれた日常から、嘗ての師走の景色が戻って来たような気がした。 安閑と過ごしていたら、「師走」を忘れる事に成っていた。 幾年ぶりかの、十二月初旬の「雪景色」。 いやいや、二十年は見ていない気がする。 嘗ては十二月に入ると、一度は「一尺」は降った「雪」を、近年は経験していない。 暖かい冬も有りがたいが、季節ごとの変化が、「人間を人間らしく」している気がしてならない。

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今日も西の空に「一番星」

2024-12-02 17:32:08 | 日記・エッセイ・コラム

日の入りが、日に日に早く成り、山間に入る位置も西に随分寄った。 午後五時半、最早電気を付けないと本も読めない。 今日一日でやった事は、買い物だけ。 後は、ベットの上でスマホを弄り、本を読む。 とは言うものの、半分以上は夢うつつである。 自分で気付いた事は、下半身の弱りと、排尿の管理が難しく成った事である。尿意を感じて、トイレまで持てば良いが、少しずつ漏れるようになってきた。そうなると、早め早めにトイレに行くので、その回数が倍近くなった。 特に夜間は、一時間半に一度目が覚めて、トイレ通いである。 安眠した記憶が無くなりつつある。 昨日昼間、四時間爆睡したら、何だか下着が湿っぽかった。 慌てて着替えて、洗濯機の中に入れて置いた。 今朝、奥様から「何故にパンツだけ着替えたの」聞かれたので、「???」うやむやにして置いた。 老いるとは、この様なことを言うのであろうと実感している。 それにしても美しい「一番星」が、茜色と群青色の混ざり合う空に浮かんでいる。 あと幾回この景色を眺められるのだろあ。

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一番星見つけた

2024-12-01 13:13:29 | 日記・エッセイ・コラム

十一月二十六日(火)  夕方ベランダ側の窓を開けて、深呼吸。 ふと西の空を見た瞬間に、「一番星見つけた」と口走ってしまった。 幾年ぶりのセリフだろうか。 思わず口から言葉が走って出た位に、それは美しい西空だった。

 子供の頃、我が家からは、「一番星」は見る事は無かった。 西側に山が迫っていたからである。 「神功皇后」ゆかりの、旭山神社に連なる山並みが、西側を遮っていたからである。 この山塊は、今、地震学会で興味を持たれている。 己斐山際断層の存在が確実になったからである。 その断層の上を山陽本線が、横川駅から大竹駅まで走っている。 否、横川から北へ安佐南区の緑井まで走っているそうである。 話がそれて、断層の話になったが、「一番星」の話がしたかったのだった。 小学生に成ってから、夏が近づくと、太田川放水路に夕方出掛けていた。 河口なので、潮が引いていると、絶好の潮干狩りが出来るのだ。 大きな「アサリ」が取り放題。 時々、「ハマグリ」も顔を出す。 夕飯のおかず取りに必死になっていると、西の空に一番星が光り始める。 それからは、重たい程の「アサリ」を持って走って帰るのだ。 家で頂くのは、三分の一位。 残りは、お隣の魚屋さんが買ってくれた。 私のお小遣い稼ぎである。 あの頃の一番星は、もっと大きく輝いていた気がしたが、・・・・

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